はじめに
このブログでは、身近にある利用されていない土地を大きく2つに分類して紹介している。
一つ目が、将来的に開発・利用されることを見越して残されている(と見られる)土地で、これを「開発や利用を待つ空き地」と呼んでいる。
二つ目が、この記事で紹介する「余ってしまった土地」で、その定義は次の通り。
(1)何かをつくったり、整理したりすることで生まれる余った土地。
たとえば道路、橋、建物などを新たにつくったり、土地の区画を整理したりすることで生まれる余った土地。この種の土地が、そのまま管理用地となるケース、緩衝地としての役割を担うケース、そこに新たに施設や物を設けて有効活用されるケースなどがある。これらのケースがあることに留意しつつ、ここでは、役割が明確に定まっていないように見える土地や、日常的にほとんど(あるいは全く)利用されている様子がない土地を扱いたい。
(2)特殊な事情により、恒常的にデッドスペース化していると見られる土地。
(1)の理由で生まれた土地以外にも、地中に障害物がある、特殊な構造をしている(狭小地や不整形地など)、特殊な立地にあるなどの理由で、開発・利用の見込みがなく恒常的に使われていない土地がある。
このように、その土地固有の事情によって開発や利用が控えられ、デッドスペース化していると見られる土地(区画)も「余ってしまった土地」と見なしたい。
なお、過疎地などの人口減少地域で多く見られる空き地も、特殊な事情で恒常的にデッドスペース化していると言えるが、ここでは、たんに地域が抱える事情だけで生まれたものは扱わず、区画ごとに抱える特殊事情によって生まれたものを扱うことにする。
この記事では、上記(1)、(2)のうちのいずれか、あるいは両方に該当するものを「余ってしまった土地」と見なし、合計14か所を紹介する。その目的は、第一にこの種の土地の記録、第二にそれぞれの成り立ちを考察することで、それらが持つ魅力とその多様性を探ることにある。
まず、前編にあたる本記事では、宅地にある余ってしまった土地(7か所)を紹介し、後編では道路上の余ってしまった土地(7か所)を紹介する。
(※なお、余ってしまった土地の定義は、過去記事(・余ってしまった土地を観察する〈前編〉 - 空き地図鑑 、・余ってしまった土地を観察する〈後編〉 - 空き地図鑑)に修正を加えており、今後も加筆・修正する場合がある。)
宅地の余ってしまった土地
1. 建物の基礎が残る三角地
住宅街の片隅に、長い間使われていない三角の土地がある。
この区画は、昔(少なくとも4、50年以上前)に行われた区画整理で生まれたと見られる*1。
過去の航空写真には、1990年頃まで建物が立っている様子が写っていたが、2008年の写真にはその姿がなくなり空き地となっている*2。つまり、少なくともここは14年間デッドスペースになっているようだ。
この空き地で目を引くのは、建物の基礎と見られる痕跡である。
向かって右半分には、出入り口の痕跡があり、地表はコンクリートで覆われている。また、基礎の周縁はコンクリートブロックで囲われており、所々に鉄筋が飛び出していた。
一方、左半分は土の地面になっている。どのような構造(間取り)の建物だったのか気になるところである。
これらの情報だけでは、ここにあった建物の性格を推測することは難しいが、敷地の端にヒントとなるものが立っていた。
三角の敷地の端には、消火栓の標識、防災無線のスピーカー、そしてホース乾燥搭(消防用ホースを乾燥させるための設備)らしきポールが立っている。
つまり、ここに立っていた建物は、その大きさもふまえて推測すると、防災や消防に関わる倉庫だったと考えられる。
敷地の端には市や県の境界標があり、ここが公有地だとわかる。
西側から見た敷地の全体像。
東側から見た敷地全体の様子。
なお、この場所と同じような空き地を別地域でも見かけたことがあり、それについて次に紹介したい。
2. 建物の基礎が残る狭小地
この空き地は、交通量の多い道路沿いにあり、少なくとも13年前(2009年頃)から空き地のままになっている*3。
建物の土台らしきものが残されている点、敷地面積が狭い点(30平米ほど)などが先の空き地と共通している。また、消火器ボックスが壁に残されていることから、この空き地も防災倉庫が立つ防災用地だった可能性がある。なお、境界標を確認し忘れてしまったため、公有地か私有地かはわからないが、おそらくここも公有地ではないだろうか。
何かの土台らしきコンクリート。
周縁部は薄緑色だが、中央は灰色をしており、そこに鉄筋と思われる出っ張りがいくつか残っていた。したがって、この上に四角いもの(おそらく倉庫)が設置されていたことは確かだろう。また、手前に踏み石と見られるタイルが3枚並んでいるので、ここに出入り口があったと考えられる。
一方、敷地の向かって左側には何もなく、砂利が敷かれている。しかし、よく見ると何かを解体した時に出たと思われるコンクリート片が散らばっている。ひょっとしたら、ここにも建物もしくは何かの設備が存在していたのかもしれない。
敷地の隅にはポールが立っている。ここにあった施設の標識が掲げられていたのだろうか。
敷地の横には水路が通っている。
(no.482-483 東京都)
3. 分割された住宅地
住宅街の角にある余ってしまった土地。
広さは100平米くらいで、周囲にある住宅地と比べると狭く、下図のような不整形地になっている。
この場所の過去の空中写真*4を参照したところ、ここには少なくとも1990年頃まで庭付きの家があり、敷地面積はこの空き地の4倍ほどあったとみられる。しかしその後、この場所に新しく道路(上の写真の右側を通っている)が敷かれたため、ここにあった広い住宅地の大部分は削られ、その一部がこうして取り残されてしまったわけである。
なお、過去の空中写真を確認した限りでは、未だこの余った土地に建物が建てられた形跡はない。人口密度の高い地域では、不整形地や狭小地でも需要があり積極的に活用されるだろうが、このあたりでは、わざわざこの土地を選んで開発する者は少ないのだろう。
しかし、この土地は全く利用されていないわけではなく、敷地の端(写真左側)には携帯電話のアンテナが設置されている。
敷地の端に立つソフトバンクモバイルのアンテナ。
敷地内の様子。雑草は定期的に刈られている模様で、きれいに管理されている。
敷地の片隅にピンクの花がかたまりになって咲いている。これは5月に撮影したので、おそらくイモカタバミと思われる。
この辺りにも咲いている。おそらく、これらは自然に根付いたもので、園芸の痕跡ではないだろう。過去の空中写真を見る限りでは、この辺りは庭ではなく、家が立っていたからだ。
ちなみに、敷地内の人工物で目を引いたものは、先のアンテナとこの汚水桝くらい。
比較的新しい汚水桝。
そして、ここが敷地の北端の様子。この辺りには、園芸の痕跡らしきものが残っていた。
取り残された2つの切り株。
過去の空中写真を見る限りでは、この辺りに建物が立っている様子はなかった。したがって、この辺りはかつて庭になっており、これらは庭木の痕跡と推測できる。
(no.484 茨城県)
4. 建物の間の細長い土地①
住宅(右)と事業所(左)の間に細長い土地が取り残されていた。
実は、左隣の土地については、過去に本ブログで紹介したことがあり、そこはかつて下の写真のような門付きの外構が残る事業所跡地だった。
(※記事→痕跡を残す空き地 1 - 空き地図鑑)
この事業所跡地には、外構だけでなく、敷地内にも過去の痕跡が残されており、上の写真のようにアスファルト舗装された部分が敷地の半分くらいを占めていた。
このアスファルトが、現在もこの細長い空き地に残されている(下の写真)。
傷んだ箇所からクズ、メヒシバ、ヨモギなどの雑草が生えている。
この部分だけ残された理由はわからないが、右隣にある住宅への騒音対策など、事業所新設にあたって何らかの取り決めがあったのだろう。
(no.485 茨城県)
5. 建物の間の細長い土地②
先の空き地と似ている細長い空き地。しかし、ここは両隣に住宅が立っている。
敷地内で目についた人工物は2つの排水桝だけで、左手前には比較的新しい円筒形のもの(雨水か汚水用)が突き出ており、右隅にはコンクリート製の古いものが残されている。
境界標が見当たらなかったので、この土地が独立した区画かどうかは不明。生垣が立つ左隣の家の敷地という可能性もある。しかし、確認できた最も古い時代の空中写真(1960年代のもの)を参照したところ、当時から通路状の細長い空き地になっており、それ以降の空中写真を参照しても、ほとんど姿は変わっていない*5。
ちなみに、空き地の奥は行き止まりになっており、手前側しか道路には接していない。こうして調べていくと、ここは旗竿地の通路跡に思えてくる。しかし、1960年代から最近までの空中写真を確認したが、どの年代でも旗竿地になっている様子はなく、周囲に立つ全ての住宅はそれぞれ道路に接していた。
登記簿までは調べていないので、これ以上のことは分からない。ただ、この空き地の性格としては以下の3つのケースが推測できる。
1. ここは一つの独立した区画で、たんに開発・利用されたことがない土地。
2. 周囲のいずれかの住宅地に付属する土地で、かつて通路として利用されていたが、何らかの事情で使われなくなった。
3. ここは共有地で、かつて周囲に住む人々が通路として使っていたが、やがて使われなくなった。
おそらく、2か3のケース(通路跡地)と思われるが、はたして実際のところはどうだろうか。
(no.486 茨城県)
6. 建物の間の細長い土地③
店舗(左)と立体駐車場(右)の隙間にある余ってしまった土地。
法律(建築基準法や民法)により、建物の建設、建物や壁面のメンテナンス、採光、通風、防火などの目的で、建物と建物の間に隙間が設けられる。これについては過去記事で詳しくまとめた。(※参照→建物と建物の隙間 - 空き地図鑑)
この空き地にも、奥の方にマンホールが設置されており、前述した役割の一部を担っていると考えられる。しかし、もともと土地の形がきれいな四角形ではなかったために、駐車場建設に伴って生まれた残余地と見受けられる。
このような隙間には、不要なものが置かれることが多く、上の写真の手前側には、観葉植物のサンセベリアらしき長い葉っぱ(明るい色の線が入っている)が捨てられていたり、敷地の奥の方にはビールケースのようなものが放棄されており(下の写真)、そこから木が根付いて成長している。
この様子から、はじめにケースが捨てられ、そのあと木が生えてきたことがわかる。
空き地は、奥にいくほど先細り狭くなっている。
空き地に設置されたマンホール。マンホールには詳しくないので、雨水用か汚水用かは分からない。
(no.487 茨城県)
7. 水田の端の一画
水田エリアの端に、日常的には使われていないように見える土地があった。
これまでも、様々な地域で、水田エリアの一角に設けられた作業場や休憩場を見かけたことがある。
この空き地も、苗の植え付け時期や収穫時期などに農作業車が入り、道具を置いて準備をしたり、作業者が休憩したりする場所かもしれない。しかし、植え付け時期から一年間、何度かこの空き地を訪れてみたが、雑草が倒された形跡もなく日常的に使われている様子はない。
しかし、この土地は完全に放置されているわけではなく、定期的に雑草刈りは行われているようだ。また、これは初春の様子だが、敷地の端にはシュロや松などが植えられ、コンポストも置かれている。やはり、もともとは作業場か物置場として整備された区画なのだろう。
敷地の一部には伐採された木の残骸があった。
夏(8月)の様子。
以前は手前に野立て看板が立っていたが、敷地の奥に移動していた。
この時期も人が立ち入った形跡は見られない。
敷地の端に松の木が立っていたが、大きく選定されていた(左:5月撮影、右:同年8月撮影)。
(no.488 茨城県)
おまけ:建物横の小さな植栽地
ビルの敷地の角にある微妙な空きスペース。
左端はコンクリート、それ以外は芝生の植栽地になっている。建物に付属する植栽地は特に珍しいものではないが、ここは円形の建物が建てられことで生まれた部分であり、日常的に利用されているようにも見えない。
性格的には「余ってしまった土地」に該当しそうなので、とりあえず紹介しておきたい。
このような芝生地に水道メーターボックスや散水栓が設けられることもあるが、ここでは確認できなかった。
また、芝生エリアの左端になぜかレンガが並んでいる。その意図は不明だが、芝生を植えること以外に、園芸に関わる何らかの作業が行われた模様だ。ひょっとしたら、芝生を植える前には花を育てていたのかもしれない。
(no.489 茨城県)
*1:国土地理院HPの「地理院地図」(https://maps.gsi.go.jp)にある「年代別の写真」1974-1978年が、この土地の様子が確認できた最も古いもので、そこにはこの三角の土地が区切られている様子があった。
*2:前掲、「地理院地図」の「年代別の写真」1987-1990年。「年度別写真」2008年を参照。
*3:前掲、国土地理院「地理院地図」の「年代別の写真」1987-1990年と「年度別写真」2009年を参照。
*4:前掲、国土地理院HPの地理院地図にある当該地の空中写真(1988年〜1990年、簡易空中写真(2004年〜)、2008年)を参照。
*5:前掲、国土地理院HPの地理院地図にある当該地の空中写真(年代別の写真1961〜1969年、年度別写真の2008年)を参照。