空き地図鑑

空き地、更地、使われていない資材置き場、オープンスペース、祭祀場、住居跡地など、「空いている場所」がもつ様々な機能、意味、魅力を探ります。 (※本ブログに掲載の写真および文章の無断使用(転用・転載など)は禁止しています。)

無名の遺跡8 畑とスポーツ広場の跡地

住宅や店が立ち並ぶ道沿いにある、200坪ほどの広さの原っぱ。

このとおり何の変哲もない空き地だが、過去の様子を調べたところ、かつて畑やスポーツ広場らしきものがあったことがわかった。

使われていた当時は、敷地の左側3分の1ほどが畑で、残りの3分の2がスポーツ広場(おそらくゲートボール場)だったようだ。

過去の様子はストリートビューで確認したのだが、スポーツ広場らしきものは砂で整地されており、その周りにはベンチ、椅子、倉庫が置かれ、低木も植えられていた*1

まずはじめに紹介するのは、かつて畑があった場所。ざっと敷地内を見渡してみたが、草に覆われていて耕作した形跡は見当たらない。

この辺りの特徴といえば、黄色い野花がたくさん咲いていることくらいだ。

畑の跡地で最初に目に留まったものは、この木の切り株。

敷地の奥のほうにポツンと残されている。

畑だった頃の画像には、葉を茂らせたこの木の姿が写っており、高さは3、4mほどあったことがわかった。

次に畑の跡地付近で目についた物。

これらの筒の用途は不明だが、のぼり旗や何かの支柱を立てるために使われていたと推測できる。

そのほかにも、敷地の端を観察すると色々な人工物が残っていた。これは排水枡で、下の写真は止水弁。草に埋もれつつある止水弁。

一方、これがゲートボール場らしき広場があった場所だ。

広さは敷地全体の3分の2程度。生えている草の種類が、先の畑の跡地と大きく異なる点が面白い。耕されたことがある畑の跡地とは土質(水捌けや栄養など)が違っているのだろう。

この広場跡のそばには、塩ビ管や何かの破片が散らばっていた。かつてはどんな用途で使われていたのだろうか。

同じく、敷地の端に残る人工物。排水枡や、なぜか物干しの土台らしきものが放棄されている。

ここには、ドウダンツツジのような低木が生えている。これはスポーツ広場があった頃に植えられたものと見られる。

低木のそばには木の杭や何かのシートの切れ端(左上)が残る。

「光」の文字が刻まれている不思議な境界標もあった。下の文字は埋もれて確認できないが「版」ではないだろうか。この土地を管理する事業者名なのかもしれない。

空き地の端から見た全体像。

これを撮影した翌年に再訪したところ、この原っぱは無くなっており、新たに砂利で整地された駐車場らしき施設になっていた。

(no.536 茨城県)

*1:Google マップのストリートビュー画像(2012年12月と2014年6月)を参照。(2022.5.10.閲覧)