※前編→余ってしまった土地を観察する〈前編〉 - 空き地図鑑
5.小さな不整形地旧市街で見つけた三角形に近い空き地。
過去の衛星画像を見た限りでは、少なくとも17年以上は空き地のまま残されているようだ*1。ひょっとしたら、この辺りに街がつくられた頃から残り続けている土地かもしれない。
ここは隣家の庭の可能性があるが、外構で隔たれていること、外構と空き地の境に古い境界標らしきものがあることなどから独立した区画とも考えられる。あるいは、自治体の指導や推奨等によって、見通し確保などの目的でつくられた「隅切り」の可能性もある。
スペースの所々には園芸種と思しき植物が生えており、隅にはひっそりと小さい苗が育てられていた。全く利用されていない土地ではないが、非常に控えめな利用のされ方である。
ここと似たような不整形地に、自動販売機が置かれたり、野立て看板が設置されたりしているのを見かけたことがある。この空き地が隅切りでないなら、いつかそのように利用される日が訪れるかもしれない。
(no.422 茨城県)
6.レストラン横の空きスペースレストラン(左)の隣にあった三角の空き地。
何度かこの前を通っているが、何かに利用されているのを見たことがない。しかし、おそらくここはレストランの敷地の一部だろう。
地面には芝生が敷かれている。普段は庭として使われているのだろうか。あるいは、予備の駐車場として空けられているとも考えられる。デッドスペースとは言い切れないが、土地の構造上、利用目的が定まっていない余った場所に思える。4、50年前、この辺りはニュータウンとして開発されたので、その際にこのような不整形地が生み出されたと考えられる。
端に立つ柵は簡易的なつくりである。
端から見た全体像。
(no.423 茨城県)
7.線路横の空き地 JR常磐線の駅沿いにある細長い空き地。
JRが管理する鉄道用地に思えるが、登記情報は未確認なので実際のところはわからない。似たような駅沿いの細長い土地が市有地になっている例もあるので、その可能性もある。
過去の衛生画像を見た限りでは、ここは2004〜2005年頃は物置場として使われていたようだ。ただ、少なくとも2009年から現在にいたるまで空き地のまま残されている*2。
いずれにしても、この空き地は10年以上使われている様子がないため、今後もしばらくは利用されることなく残り続けるのではないだろうか。
敷地の長さは5、60mくらいある。
ところで、写真右側に竹に挟んだ御札のようなものがあり、気になった。この空き地とどのような関係があるのだろうか。
最近、空き地で地鎮祭的なものが行われたのだろうか。
空き地と駅の敷地は有刺鉄線のついたフェンスで隔たれているが、1箇所だけこのような扉が付いている。
そのほか、空き地の中ではいくつかの境界標が目についた。
メッシュフェンスのそばには工部省を表す「工」マークの境界標が並んでおり、旧国鉄のものだとわかる。
つまり、フェンス付近を境に土地の所有者が異なる(JRとそれ以外)ということだろうか?それとも、この境界標は今は使われていないものだろうか。境界標の見方に自信がないので、この辺りについては判断できない。
空き地の真ん中にも埋もれかかった境界標らしきものがあった。もともとはこの場所で土地が区分けされていたのかもしれない。
空き地と道路の境界には単管パイプの簡易柵が立っている。そしてここにも古い境界標が並んでいる。
道路との境に並ぶ境界標。丸いシールは近年の再調査で付けられたものだろう。
境界標の側面には「国有‥」の刻印がある。「国有鉄道」を表しているのか、それともそれ以外の国有地を表しているのか不明だ。仮に「国有鉄道」なら、やはりこの空き地は使われなくなった鉄道用地で、鉄道会社が物置場として使っていたと考えられるだろう。
空き地の端に到着。
5月に撮影したが枯れ草ばかりだ。除草剤を撒いているのだろうか。
空き地の全体像。ちょうど列車が駅に到着した。
(no.424 茨城県)
8.橋の下の空きスペース 橋をつくれば、その下に雨をしのげる空きスペースが生まれる。
橋の下の活用例については、このブログでもいくつか取り上げたことがある。そこに飲食店、食料品店、ドラッグストアなどの店が入ることがあるし、駐車場、駐輪場、公園(運動場)などが整備されることもある。 ただ、この場所のように物置き場になっているケースも多い。今まで訪れた橋の下の物置き場は、どこも保管されている物の数は少なかった。このような橋の下の空間には独特の魅力があり、人があまりいない環境と橋の上から響く車の走行音が相まって、妙な心地良さを感じる。
この物置場も、わずかに道路標識や仮設のガードポールなどが保管されているだけでガランとしている。
この辺りにはベンチがひっくり返っていた。右奥にはブルーシートに包まれた何かの資材がある。
(no.425 東京都府中市)
9.神社と店の隙間 神社の敷地の端に2つの極小空きスペースがあった。
赤く囲った部分。
メッシュフェンスの奥は社殿が立つ神社の敷地である。しかし、このフェンスが設置される以前は、この場所(車止めが立っているところから奥にかけて)に3×4mほどの小さな空き地が独立して区画されていた。その空き地は社殿が立つエリアとは柵で隔たれており、神社が作業場(あるいは物置や臨時駐車場)として使っているようだった。そして、最近になって区画整理がおこなわれ、その空き地と社殿が立つエリアが一体化したのである。この工事の過程で、写真左側の極小スペースが取り残されたようだ。
そして、この四角いタイルスペースは右隣のドラッグストアが管理する私有地と考えられる。似たようなタイルが店の床でも使われていること、神社がこの部分を避けて柵を設置していることなどから、そう考えてよいだろう。(なお、市の「駐輪禁止」の標識があるが、おそらくこのスペースは市有地ではなく、歩道への駐輪を警告しているのだろう。)
仮にここが店の敷地なら、もともと何に使われていたのだろうか。右奥に何かの枡の蓋が見えるので、かつてはその管理用地として設けられた可能性がある。もちろん、現在も時々は何かに使われることがあるのかもしれない。
ところで、少し気になるものを見つけた。写真右の赤丸で囲ったところに、右斜め下を指す境界標があったのだ。
ということは、この空きスペースは神社の敷地になるだろう。つまり、その場合はドラッグストアに貸している土地というケースが考えられる。あるいは、両者が管理する共有地だろうか。
かつての用途、区分けがよくわからない不思議なスペースである。
(no.426〜427 千葉県柏市)
10.橋脚土台部の残余地橋の土台部分(トンネル右側)に、半畳ほどの小さな空き地があった。
ここだけ壁面が凹んでいるため、この空き地が生まれている。ただ、他の壁面には似たような凹みはない。確かなことはわからないが、壁の上のほうに排水口がついているので、この空き地は排水処理の目的で設けられたものかもしれない。あるいは、見通しを確保して出会い頭の事故を防ぐために設けられた可能性もある。 なお、トンネルをくぐった反対側の壁面も確認したが、似たようなスペースは見当たらなかった。
この空き地だけ舗装されず土の地面になっている。
壁面の上のある排水口。その隣には謎の数字とマスの図式が描かれている。
(no.428 東京都新宿区)
11.看板下の残余地 ビル壁面の看板下にできた小さな空きスペース。
深さがあるので、もともとは隣の花壇とつながって使われていたと考えられる。
おそらく、看板を取り付けたことで植物を育てられなくなり、デッドスペース化したのではないだろうか。
初めてここを見つけた時は、上の写真のようにビニールシート(もしくは砂入りの土のうかもしれない)が敷かれ、重しのレンガが置かれていた。おそらく雑草対策だろう。長い間人の手が入っていないように見えるが、最近通りかかったらビニールシートが新しいものに置き換わっていた(下の写真)。
意外にも、日ごろから管理者の注意が向けられている場所のようだ。
そばには看板が取り付けられていない場所もあり、花壇として使われている。
(no.429 東京都武蔵野市)
まとめ
この記事では余ってしまった土地を17か所紹介し、それぞれの成り立ちや性格について探ってみた。
これらの土地の特徴として、極小の土地や細長い不整形地が多いことがわかる。ただ、一つ一つ見ていくとそれぞれの土地には固有の歴史や性格があり、そのことが要因になって土地の姿を形づくり、独特の雰囲気を醸し出している。
この記事で紹介した土地を、成り立ちや性格をもとに分類すると次のようになる。
【1】おもに区画整理等で残った(と思われる)もの
土地区画整理事業など公共事業によって生まれた(と思われる)もの、私有地内でおこなわれた区画整理により生まれたもの。
これに該当するものは、
・1(道路整備によって生まれた余った土地①)
・2(道路整備によって生まれた余った土地②)
・3(道路整備によって生まれた余った土地③)
・5(小さな不整形地)
・6(レストラン横の空きスペース)
・9(神社と店の隙間)のうちのコンクリート部分
である。
そして、これらを有効利用の観点から次のように分類できる。
(1)すでに有効利用されている、あるいは将来利用される可能性があるもの。
・1は、アスファルト舗装された出入り可能なスペースと、柵で閉鎖されたスペースに分かれている。このうち前者は、まれに休憩スペースに使われることがあると見られ、また、将来は駐輪スペースなどに使われる可能性がある。
・2の「1か所目」は、敷地の一部が石材置場として利用されていたが、その他のスペースは使われているように見えなかった。空いている部分の面積はそれなりに広いので、現在使われていなかったとしても、将来有効利用される可能性がある。
・2の「3か所目」は、敷地の半分以上がすでに石置き場として利用されており、残りの部分も農地などに利用されていた。
・5は、街がつくられた当初から空き地のまま残されている可能性がある。隅切りの土地かもしれず、今後も姿は変わらないかもしれない。ただ、仮に隅切りでない場合は、野立て看板や自販機を設けたりして利用されることも考えられる。
・6は、臨時駐車場や庭としてすでに使われている可能性がある。また、たとえ現在使われていなくても、ある程度広さがあるので有効利用できる場所に思える。
(2)今後も有効利用されずに残りそうなもの。
・1は、アスファルト舗装された出入り可能なスペースと、柵で閉鎖されたスペースに分かれている。このうち後者はデッドスペースとして残り続けそうである。
・2の「2か所目」の空き地は、一部がゴミ集積所として使われていた。ただ、その他の部分は有効利用されずに残り続けそうである。
・3と9は、面積や立地から考えて、しばらく有効利用されずに残り続けると考えられる。
【2】 かつて使われていた場所が使われなくなり、そのままデッドスペース化していると考えられるもの
これに該当するものは、
・7(線路横の空き地)
・9(神社と店の隙間)のうちの四角いタイル部分
の二つで、どちらもしばらく利用されそうにない。
【3】 立体構造物をつくったことで生まれたもの
これに該当するものは、
・4(壁面上のデッドスペース)
・8(橋の下の空きスペース)
・10(橋脚土台部の残余地)
・11(看板下の残余地)
である。
これらを有効利用の観点から分類すると次のようになる。
(1)すでに有効利用されていると考えられるもの。
・8は、道路標識、ガードポール、資材などの保管場所になっている。
・10は、壁面から流れる排水処理用地として利用されていると考えられる。
(2)今後も有効利用されずに残りそうなもの。
・4は、土地の形や立地から考えてデッドスペースのまま残り続けそうである。
・11は、壁面看板が取り除かれない限り、このままデッドスペースとして残り続けそうである。
このように、一口に「余ってしまった土地」と言っても、それらが生まれた理由は様々であり、有効利用の観点からも性格の違いが確認できた。
また、これらの土地は面積が狭かったり不整形だったりすることが多いが、どれも偶然できてしまった造形の面白さが特徴である。とりわけ1、2、3、9のように、利用されていた痕跡が残る土地は、その場所の過去の姿を想像させてくれる点で他の余ってしまった土地にはない魅力がある。
1には、フォークリフト用と思われる駐車スペースの痕跡が残されていた。
2には、物置き場や墓地の痕跡として、石材、トタン 、桜の植木、集水枡、墓石、祠などが残されていた。
3には、路面標識、マンホール、制水弁などの旧道の痕跡と、住宅の庭の跡地の斜面が残されていた。
9には、四角いタイルが敷かれた一画と、何かの枡の蓋が残されていた。
これらの土地を訪れた時点では、それぞれの過去の姿についてほとんど調べていなかった。
それでも、中途半端に取り残された敷地の形やそこに残る古い痕跡などを眺めていると、その空間だけは過去の時間が流れているように思えた。
おわりに
この記事で紹介したように、私たちの周りには恒常的に利用されない土地や、利用価値の乏しい土地が数多くある。これらは、どれも街の中で影が薄く、普段は意識に上りにくい存在だろう。ただ、この種の土地が存在することで、ある種のゆとりが街に生み出されているのではないだろうか。何らかの効果をねらってゆとり空間をつくる試みは様々な場所で行われているが、"意図してつくられたゆとり空間"にはない機能や魅力が、"意図せず生まれたゆとり空間"にはあるように感じる。
また、今回訪れた17か所の土地では様々な印象を抱いた。その中でも、過去の痕跡が残る切れ端のような土地(1、2、3、9)は特に心に残っている。これらの土地が街の片隅でひっそりと佇んでいる姿は、あたかも成仏できない幽霊のようでもあった。これまでも、過去の痕跡が残る空き地として住居跡地や施設跡地などを訪れたことがあるが、それらとは異なる魅力をこれらの土地で感じた。このような空き地で感じた印象をきっかけにしながら、今後は空き地と人の情緒的(文化的)なつながりについても調べていきたいと思う。