空き地図鑑

空き地、更地、使われていない資材置き場、オープンスペース、祭祀場、住居跡地など、「空いている場所」がもつ様々な機能、意味、魅力を探ります。 (※本ブログに掲載の写真および文章の無断使用(転用・転載など)は禁止しています。)

無名の遺跡11 旧市街の空き地

私の住む地域では一部のニュータウンを除き、ほとんどの地区で年々人口が減少している。特に旧市街地はその傾向が強く、散策していると空き家や空き地の姿が目立つ。

空き地の中には、外構や建物の基礎が撤去されずに残されているものがあったり、老朽化した建物が自然に倒壊し、そのまま放置されている姿も見かける。

このような地域と空き地を巡っては様々な問題が指摘されている。ただ、この記事ではそのことに留意しつつも、あくまで景観の記録を第一の目的として、過去の痕跡が残る空き地を紹介したい。

 

 

農地エリアの建物跡地

春の水田エリアを散策中、ちょうど集落に差し掛かった所で建物跡地とみられる空き地を見つけた。

上の写真がその全体像。

左の道の奥が歩いてきた方向で、カーブの先に水田が広がっている。この空き地は道に沿って細長く伸びており、敷地内に人の営みの痕跡が残されている。

ここを訪れたのは2021年の春。撮影後、過去の姿を空中写真で調べてみると、1994〜2008年の写真に建物の屋根らしきものが写っていた*1。しかし、2012年のGoogleマップ(ストリートビュー)では建物の姿がなかった。

つまり、ここを訪れた時点で9年以上は空き地のままになっているようだ。

この集落には農家が多いので、おそらく、ここにも農家もしくは作業小屋が立っていたのではないだろうか。なお、道の向かい側には空き家が立っており、この空き地に立っていた建物とともに利用されていた可能性がある。

敷地の中央はぽっかりと空いていて、特に目立つものはない。

9年以上経過しているにも関わらず、藪化していないので、定期的に人の手が入っているのだろう。

一方、敷地の周縁には様々な痕跡が残されている。敷地の東端には立水栓と見られるパイプがポツンとある。

そして、敷地の中央(南側)には門柱と、コンクリートブロックのアプローチが残されている。

道路沿いには、生垣として低木やリュウノヒゲが植えられている(写真は敷地の西側)。

これは東側の道沿いに残るリュウノヒゲ。

緑に埋もれかかって庭木らしき切り株もあった。

そして、これが敷地の西端の様子。

桜が木陰をつくり、涼しげで心地よい雰囲気がある。

この桜の根元には小さな祠が置かれていた。かつて屋敷神を祀っていたのだろうか。コンクリート製なので近代以降につくられたものと推測。

西の端から見た空き地の全体像。

人の往来がほとんどない静かな環境にある空き地だった。

(no.540 茨城県)

 

外構が残る空き地①

古くからある街で見つけた住宅跡地と思しき空き地。

立派な門柱が印象的。

敷地内は半分くらいが笹に覆われている。

この写真は2023年に撮影したものだが、過去の姿が気になり空中写真やGoogleストリートビューで確認してみた。すると、2010年の空中写真には建物らしき屋根が写っており*2、2012年のストリートビュー画像では建物の姿はなくなっていた。つまり、これを撮影した2023年時点で、10年以上は空き地になっているようだ。

先ほどと反対の端から見た全体像。

こちら側には塀が立っておらず、敷地内は背丈の低い草地になっている。

もしかしたらこの草地は駐車スペースの跡地かもしれない。あるいは、隣地へ配慮してここだけ雑草処理している可能性もある。

敷地の隅に残っていたもの。コンクリート製の防火水槽、もしくは古井戸と推測。

敷地の半分を覆う笹や樹木。

残されたブロック塀。

塀を越えて大きく成育した樹木。かつて庭木として育てていたものだろうか。

立派な天然石とみられる門柱。

赤く錆びた門はもともと何色をしていたのだろう。

(no.541 茨城県)

 

 

外構が残る空き地②

f:id:akichiniiko:20211103190312j:plain商店と住宅が混在するエリアで見つけた空き地。

少なくとも2008年までは家が立っていたことが空中写真で確認できたが*3、2013年のストリービュー画像ではすでに空き地となっている。

f:id:akichiniiko:20211103190844j:plain出入り口はこの通り広い。おそらく、建物の解体工事の際に塀の一部を壊したのではないだろうか。

あるいは、元々車が出入りできる広い門があった可能性がある。

敷地面積は70坪くらい。

ゴミもなく雑草も綺麗に刈り取られている。

f:id:akichiniiko:20211103190657j:plain奥の塀の様子。

崩れているところがあったり、何の用途かわからないが鎖がついていたりする。

敷地の端に切られた低木があった。紫陽花のように思えるが、自然に根付いた雑木かもしれない。

外構以外で目にとまった人工物は、汚水枡と止水弁のみ。

南側の塀の様子。

出入り口付近の塀。

門柱には表札が残っており、横には郵便受けの部材らしき鉄板が落ちかかっている。

(no.542 茨城県)

 

 

外構が残る空き地③f:id:akichiniiko:20211103190857j:plainこれはニュータウンにある外構付きの空き地。

一見住宅跡地に思えるが、調べても家が立っていた形跡は確認できなかった。

国土地理院の空中写真*4を参照したところ、この辺りは1980年代後半にニュータウン開発が始まり、1990年代初頭に宅地として区画整備されたことがわかった。そして、開発前は雑木林や農地が広がっており、この空き地も当時は雑木林だったようだ。

ただ、この区画が整備されて以降の空中写真をいくつか確認したが、いずれも空き地のままであり、家が立っていた様子はなかった*5

f:id:akichiniiko:20211103191132j:plainさらに、ここには表札が付けられそうな門柱が見当たらず、車両用の出入り口しか設けられていない。したがって、ここは住宅跡地ではなく駐車場跡地ではないだろうか。

敷地内は使われている形跡がなく草に覆われている。

よく見ると、元々は砂利が敷かれていた模様だ。

f:id:akichiniiko:20211103190953j:plain北側の様子。

f:id:akichiniiko:20211103191028j:plain北西の角から見た様子。

(no.543 茨城県)

 

*1:参照:国土地理院「地図・空中写真閲覧サービスhttps://mapps.gsi.go.jp。画像が不鮮明なため断定できないが細長い建物らしきものが写っていた。

*2:前傾、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービスhttps://mapps.gsi.go.jpを参照。

*3:前傾、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービスhttps://mapps.gsi.go.jpを参照。

*4:前傾、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービスhttps://mapps.gsi.go.jp

*5:前傾、「地図・空中写真閲覧サービスhttps://mapps.gsi.go.jpの1979、1989、1990、1994、1999、2005、2008、2013年の空中写真を参照。