はじめに
街を歩いている時、何の役にも立ってなさそうな空きスペースを見かけることがある。
それらは「デッドスペース」と呼ばれることもあるが、存在感が薄いため普段は目にとまらず通り過ぎてしまうことが多い。
この記事では、デッドスペースを含め、何らかの事情で余ってしまった(と思われる)土地17か所を紹介し、それらの特徴や生まれた背景について探ってみたい。
なお、これまでもこのブログでは、この種の土地を「余ってしまった土地」と呼び、それらの成り立ちや性格などについて考察してきた。
現時点で、その性格をまとめると次の①、②のとおりである。
①何かをつくったり、整理したりすることで生まれる余った土地。
たとえば道路や橋をつくったり、土地の区画を整理したりすることで生まれる余った土地。このような土地がそのまま管理用地として使われたり、緩衝地としての役割を担ったりすることもある。また、そこに何らかの施設を設けて有効活用されるケースも多い。しかし、ここでは役割が決まっておらず、ほとんど(あるいは全く)利用されていないように見える土地を中心に扱いたい。
②開発や利用が控えられている土地で、恒常的にデッドスペース化していると見られる土地。
何らかの理由で開発や利用が控えられており、今後もデッドスペースのまま残りそうな土地。
狭小地、不整形地、地中に障害物がある土地などの、土地の構造や立地に問題があって開発・利用されないケースや、何らかの用に供していた土地が使われなくなり、将来も利用の見込みがなくなるケースなどが考えられる。
この記事では、上記①、②のうちのいずれか、あるいは両方に該当するものを「余ってしまった土地」として扱い、以下の目次のように11の場所にあった空き地(全17か所)を紹介する。このうち前編では、はじめに 〜 4.壁面上のデッドスペースを取り上げ、5.小さな不整形地以降は後編で取り上げることにしたい*1。
目次
- はじめに
- 1. 道路整備によって生まれた余った土地①
- 2. 道路整備によって生まれた余った土地②
- 3. 道路整備によって生まれた余った土地③
- 4. 壁面上のデッドスペース
- 5. 小さな不整形地
- 6. レストラン横の空きスペース
- 7. 線路横の空き地
- 8. 橋の下の空きスペース
- 9. 神社と店の隙間
- 10. 橋脚土台部の残余地
- 11. 看板下の残余地
- まとめ
- おわりに
1.道路整備によって生まれた余った土地①歩道沿いに、デッドスペースと思われる細長い土地があった。
赤く囲った部分。
手前側はアスファルト舗装されており、奥側は茶色の柵の中にある。
過去の衛生画像を調べたところ、もともとこの場所には駐車場らしきものが広がっていたことがわかった*2。隣接するビルには運送業者が入っているので、おそらくその駐車場兼作業スペースだったのではないだろうか。そして、2009〜2010年頃に写真右側の道路(車道と歩道)が新たに整備されることになり、その工事の過程でこの細長い土地が残ってしまったようだ*3。
昼ごろに訪れた際、このスペースで食事休憩をとっている人がいた。
以前、他のデッドスペースを訪れた際も、人が集まり休憩スペースになっているのを見たことがある。こういう隙間の空間には人を惹きつける何かがあるのではないだろうか。
(※参照:「デッドスペース化した一画」「超芸術トマソン」の空き地 (余ってしまった土地について) - 空き地図鑑)
なお、歩道と空き地の境には市章付きの境界標がいくつか確認できる。つまり、この空きスペースは現在も隣接するビルの土地と見られる。
そして、柵の中にも細長いデッドスペースが続いている。
端から見た柵の中の様子。
ここには白線が残っているが、おそらく駐車スペースを区切っていたものだろう。線の間隔が狭く感じるので、フォークリフト用の駐車スペースだったのではないだろうか。
離れて見た全体像。
(no.414 千葉県柏市)
2.道路整備によって生まれた余った土地②四方を道路に囲まれた、やや広い交通島のような土地があった。
しかし、一見したところ用途が分からず中途半端な印象を受ける。おそらく、使われていない土地ではないだろうか。
写真の向かって左側には新しい2車線道路が通っており、右側には古い1車線道路が通っている。そして、右の古い道沿い(空き地の真向かい)には石材店と墓地(寺院)がある。
過去の衛生画像を参照したところ、左側の新しい道路は2011〜2012年頃に新設工事が始まり、2012〜2014年の間に開通している*4。
そして、この道路が敷かれる以前、ここには広い空き地があったことが衛星画像で確認できた。この画像を見るかぎり、当時の敷地内には目を引くものがほとんどなく、草が生えているばかりだった。ただ、石材のようなものが置かれている箇所がわずかにあり、物置き場として使われていた様子が窺えた。おそらくこの広い空き地は、そばにある石材店あるいは寺院が所有していた土地と推測できる。
ここまでの内容をまとめると、ここにはかつて広い空き地(寺院か石材店の物置き場?)があったが、2011年以降の道路新設工事によって敷地の半分以上が削られ、上の写真のように一部分が取り残されてしまったわけである*5。なお、上の写真は、その取り残された部分のうちの1つである。この他にも、かつてあった広い空き地の一部が、この道路沿いに2か所存在する。
●1か所目あらためて、一か所目の取り残された土地を見てみる。
この土地は、上の写真のように通路状になっているエリアと、あとで紹介するが雑草が茂っているエリアに分かれている。
この通路の幅はそれなりにあるので、ここはかつて車を乗り入れていた場所かもしれない。
右端の地面には側溝が通っている。
そして、左側には雑草が茂っており、この中に墓の部材らしき石やトタンが埋もれている。
手前のほうにはコンクリート管も残っていた。
次に、反対側の端からこの通路を眺めてみる。
先ほどと反対側から見た様子。
このあたりには集水枡と見られるグレーチング(金網の蓋)がある。これは向こう側で確認した側溝とつながっているようだ。また、敷地の左端には桜と思われる植木も残されている。
端に残る桜らしき植木。
向かって右側には雑草に埋もれつつある自然石がある。加工前の墓石の素材だろうか。
ここから写真奥に通っている道路まで草むらのエリアがあり、そこにも様々な石材が残されている。
雑草エリアの様子(敷地の角から見た土地の全体像)。先ほどの通路エリアは写真左奥あたりにある。
この草むらの中に二つの石が立っていた。
右の石には梵字の「ア」と、戒名を示す「禅定門」「禅定尼」の文字、「享保」「宝暦」「天明」などの元号が刻まれており江戸時代の墓石とわかる。左の石には「道祖」の文字が見えたので、道祖神の祠のようだ。この祠も墓石と同時代に設けられたものかもしれない。(※2022.1.13.追記:左の祠はコンクリート製に見えるので、近代以降につくられたものと見られる。)
墓石と祠の前を通り過ぎると、他にも草むらの中に石が点在している。
レンガのようなものから自然石まで様々なものがある。
あきらかに墓石と見られる石材もある。
先述したように、この土地は近くにある石材店か寺院の所有地だと思うが、共有地という可能性もある。また、区画整理事業が完了しないと権利者が確定しないケースもあるようだ。いずれにしても、ここは権利関係が複雑な土地という気がする。
●2か所目この小さな三角地は、1か所目に紹介した土地と道を挟んで隣にある。
これも、かつてここにあった広い空き地の一部(端の部分)である。
冬に撮影した様子。写真の奥にはゴミ集積所が設けられているが、それ以外は使われている様子がない。
この空き地にも集水枡と見られるグレーチング*6や桜と思われる植木が残されている。
ゴミ集積所側の端から見た全体像(夏に撮影)。
赤で囲った部分が余ってしまった土地。
●3か所目新しい道路を挟んで向こう側に3か所目の余った土地がある。これも、かつてここにあった広い空き地の一部分。この土地には大きな石がたくさん置かれており、一部が藪のようになっている。
そばで見た土地の全体像。
赤く囲った部分。
この土地の一部は農地として再利用されている。一番手前には何もない区画があるが、砂利が多く混じっているので、おそらく駐車スペースではないだろうか。
中央の区画では何かが栽培されている。
そして、隣のスペースはこのような石置き場となっている。
石と石の隙間から新たに竹が伸びてきている。
将来、これらの石が使われる機会は訪れるだろうか。何となくだが、放棄された土地のようにも見える。
(no.415〜416 茨城県)
3.道路整備によって生まれた余った土地③比較的新しい道路(写真左)と畑(写真右)の間に、旧道の一部が残されている。
赤く囲まれた部分。
ここにあった1車線の旧道は2009〜2010年頃まで使われていたようだ。しかし、2011年頃に写真左側にある2車線道路が新設され、その過程でここはデッドスペース化してしまったと見られる*7。なお、新しい道路が通っている場所には、かつて住宅地があった*8。
路面にはうすく「止まれ」の文字の一部と、マンホール(上水道の空気弁)が残されている。
この斜面にはもともと何があったのだろうか。
衛生画像で確認してみると、新しい道路がつくられる以前はこの辺りに一軒家が立っており、この斜面部分には庭木のようなものが植えられていた*9。つまり、これは庭の跡地と見られる。
このあたりには停止線らしき跡と制水弁のハンドホールが残っている。
はじめと反対側の端から見たデッドスペースの全体像。
赤く囲った範囲。
(no.417 茨城県)
4.壁面上のデッドスペース緩やかな坂道をのぼっていると、前方に陸橋が現れ、道の両側に擁壁がそびえていた。この壁の上にフェンスで囲われた細長いデッドスペースがある。
この陸橋の上には車道が通っている。まずはこの階段をのぼってみる。
陸橋の上にのぼってきた。これは橋のたもとから見た様子。
たもとの両側に、全部で4か所の細長いデッドスペースがある。それらを一つずつ見てみよう。
一つ目のスペース。扉は入れないように錠がかかっている。
すっきりとした通路状の空きスペースが伸びる。ゴミが全く落ちてないので、よく清掃管理されていることがわかる。
奥はカーブしていて、ここからは端が見えない。下におりて端の様子を見に行ってみる。
擁壁の端の様子。
立入禁止の学校の屋上にも似た雰囲気を感じる。
横から見た様子。地図上で長さを測ってみたら60mくらいあった。
そして、ここが二つ目のスペース。一つ目と異なり、なぜか入り口のフェンスが低い。
内部の様子。ここは突き当たりまで50mくらいある。
もちろん立入禁止だが、子どものころは斜面の擁壁をよじ登るなどの危険を伴う遊びをよくしていた。当時、こういう場所が家のそばにあったら入っていたかもしれない。
陸橋をおりて、下の道路から見た様子。
そして、ここが三つ目のスペース。
現在はこのようにすっきりとしているが、1年くらい前は下の写真のように雑木が生え、入り口が塞がれてしまっていた。
2020年7月の様子。
この木の生育具合を見ると、この時点で少なくとも2、3年は放置されてきたように思える。
このように、雑木は入り口だけでなく奥の方まで何本か根付いていた。スッキリした空きスペースも良いが、植物に侵食されたデッドスペースも魅力的である。
再び、現在の内部の様子。
ここは突き当たりまで40mほどあり、そこから右に折れて15mくらい先まで空きスペースが続いている。
下の道路から見た横の姿。さきほどは右上端あたりから撮影した。
写真左端の擁壁の角から、さらに奥方向へ15mくらい空きスペースが続く。
下の写真がその角の様子。
最後に、四つ目の空きスペース。
中の様子。ここは奥行き30mほど。
壁面含めた全体像(別日に撮影)。
これらの細長い空きスペースは壁面管理などの役割を担っているのだろうか?
その用途について市に問い合わせたところ、「擁壁の天端部を保護するためのコンクリート部分となり,誤って侵入されない様,防護柵(フェンス)を設置している状況」*10との回答をいただいた。つまり、これらは特に何かの用途のために設けられたスペースではなく、擁壁の構造上生まれてしまったデッドスペースのようである。
(no.418〜421 茨城県)
*1:特に気になる「余ってしまった土地」を見つけた際、登記情報を確認することがある。ただこのブログでは、基本的には現地で見た様子や地図情報サービスなどを使って推測するに留めたいと思う。
*2:Google EarthPro(構築日:2020.7.21.)の2005年2月の画像参照。画像が不鮮明だが、駐車スペースと見られる場所にプレハブ小屋のような箱形の構造物が写っていた。
*3:Google EarthProの2009年4月と2010年6月の衛生画像を参照。なお、この道路整備は市の地区再生計画により実施された。それによれば、この道路は幅員12メートル、延長約270メートルの「都市計画道路7・5・3元町通り線」にあたる。(参照:柏市オフィシャルウェブサイト「柏駅東口周辺地区地区再生計画書」https://www.city.kashiwa.lg.jp/documents/6844/01.pdf(2021.5.25.閲覧))
*4:新設工事が行われた道路は全長700mくらい。このうち、このデッドスペースに隣接する部分は2011年3月〜2012年3月の間に行われたようだ(Google Earth Pro(構築日:2020年7月)の2011年3月、2012年3月の衛生画像参照。)
*5:Google Earth Pro(構築日:2020年7月)の2011年3月、2012年3月、2014年3月の衛星画像を参照。
*6:衛生画像で見る限り、このグレーチングも広い空き地の頃からあったもののようだ。(前掲Google Earth Proの2011年3月と2012年3月の画像参照。)
*7:Google Earth Proの衛星画像を確認したところ、2009年4月頃まではここに細い道路が通っていたが、2011年3月には新道路の整備が始まっている。
*8:同上、2005年1月の衛星画像参照。
*9:同上、2005年1月の衛星画像参照。
*10:龍ケ崎市都市整備部道路整備課への聞き取りによる(回答日:2021年1月4日)。なお、この壁面上のスペースについて、「住宅都市整備公団が設置し,その後市に移管された」との回答もいただいた。