前回までの"無名の遺跡"に関する記事では、住居跡地、店舗跡地、使われなくなった施設跡地などを紹介した。
ここでは、それらの土地よりも小さい、ちょっとした空きスペースを中心に紹介したい。
①石庭らしき跡
レストラン(左)の前に、放って置かれている花壇のようなスペースがあった。
このスペースの特徴は庭石がいくつも置かれているところだ。石は似たようなサイズのものが多いが、これらは適当に置かれているようには見えず、いくつか固まって置かれていたり、間隔やリズムを考えて配されている。
横から見た様子。過去の姿が気になりストリートビューで確認してみたが、最も古い2013年の画像でも、現在と変わらず雑草と石だけの様子が写っていた。
寝ている石や立っている石など様々。
この日見た限りでは、スペース内に植物が植えられていた形跡はない。
ただ、地表をよく見てみると白い砂利がたくさん散らばっていることに気づいた。
つまり、もともと地面は白砂利で覆われ、ここは石庭のようなスペースだったと考えられる。もしくは、草木が植えられていて枯山水のようなスペースだったかもしれない。
どちらにせよ、現在は本当の意味で侘び寂びを感じさせる空間になっている。
端から見た様子。
道を挟んだ場所に、もう一つ同じようなスペースがある。ここにも白砂利が敷かれた形跡があった。
離れて見た全体像。
(no.410 茨城県)
②使われなくなったゴミ集積所
岩手県遠野市、土淵山口集落の道沿い(小学校跡地)にあったコンクリートブロックの空きスペース。
この集落は、2013年に重要文化的景観に選定されており*1、その前年には集落の景観保護を目的とした協定が地域住民と市の間で結ばれている*2。
これはもともと公共のゴミ捨て場として使われていたようだ。しかし、2019年に出された景観の保存活用に関する事業計画によると、これは「景観を阻害する要素」として撤去対象となっていることがわかった*3 。このゴミ捨て場が使われなくなった時期はわからないが、おそらく景観保護の気運が高まる中で使われなくなったのではないだろうか。
スペース内には土が溜まり、雑草が根付いている。
不法投棄防止の看板が倒れていた。元ゴミ捨て場なので、その姿から不法投棄を誘引してしまうのだろう。
(no.411 岩手県)
③デッドスペース化した私道
通行止めになった奥行き40mくらいの私道(2019年撮影)。
そばには駐車禁止の看板が立っている。
突き当たりは、単管パイプの柵が立っていて行き止まりになっている。
ストリートビューで過去の様子を確認したところ、2015年までは人が通行している様子が写っており、突き当たりは公道に繋がっていた。しかし、2017年の画像では、突き当たり付近に新しく家が建ち、通り抜けできなくなっていた。
取り残されたこのデッドスペースは、今後も有効利用されないままだろうか。
(no.412 東京都)
④水利設備跡
東京都千代田区、竹橋駅を出るとすぐに清水濠があり、そこに竹橋が架かっている。
この橋を渡っていると、橋のたもとに上の写真のような石垣が見えてくる。
ここは江戸城の竹橋御門があった場所で、かつてこの石垣の上に渡櫓(わたりやぐら)があったようだ*4。そして、この石垣の足下に、石枡が置かれた小さな空きスペースがある(下の写真)。石枡が残る小スペース。
この石枡が何に使われていたのか、まだきちんと確認できていない。ただ、ある個人ブログによれば玉川上水の石枡だという*5。つまり、これは江戸時代につくられた上水道の跡と見られ、石垣とともに長い間残されてきたようだ。なお、同じような石枡は日比谷公園や和田倉噴水公園などにも残されている。
石枡のサイズは、おおよそ6、70センチ四方。上水道の枡と知らなければ、使われなくなった花壇と思い込んでいただろう。ただ、ひょっとしたら明治から現在に至るまでに、花壇として使われていたこともあったかもしれない。
枡の両側には四角い穴が空いている。おそらく、木樋(もくひ:木製の水道管)が接続されていた穴だろう。
石枡の隣にも、未舗装の小さなデッドスペースがある。
そして、このデッドスペースに接する石垣には四文字の刻印があった。石垣築造を担当した大名を示すものだろうか。
(no.413 東京都)
この記事で紹介した空きスペースの中には、しばらく残り続けそうな場所と、近い将来なくなってしまいそうな場所があった。
①石庭跡と見られるスペースは、何かのタイミングで花壇として再整備されるかもしれない。ただ、少なくとも7年以上は姿が変わっていない様子なので、今後もしばらく放置されるのではないだろうか。
②ゴミ捨て場跡は、間も無く撤去されることが決まっているスペースである。
③私道跡は、面積が比較的広く、交通量の多い道路に面している。今後、駐車スペースや駐輪スペースなどが整備され、有効利用される可能性がある。
④石枡が残るスペースは、隣接する渡櫓の石垣とともに、江戸時代の遺構(文化財)として今後も残されるのではないだろうか。
*1:参照:全国文化的景観地区連絡協議会ホームページ「遠野 荒川高原牧場 土淵山口集落」https://www.bunkeikyo.jp/landscape/landscape-206(2021.3.1.閲覧)
*2:「遠野市土淵町山口集落ながめづくり協定」参照:岩手県遠野市公式ウェブサイト「重要文化的景観 遠野土淵山口集落案内図」https://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,47710,c,html/47710/20200511-130448.pdf(2021.3.1.閲覧)
*3:出典:岩手県遠野市公式ウェブサイト「重要文化的景観「遠野 荒川高原牧場 土淵山口集落」 土淵山口集落整備活用計画書」(2019年3月)、44頁。https://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,47707,c,html/47707/20190516-110145.pdf(2021.3.1.閲覧)
*4:黒田涼『江戸城を歩く』(ヴィジュアル版)、祥伝社、2009年、145〜147頁。
*5:「江戸城跡でみつけた玉川上水の石枡」(「カフェ「道みち」」)http://uzo800.blog.fc2.com/blog-entry-462.html?sp(2021.2.20.閲覧)