はじめに
街を歩いていると、普段目にしていた店や家がなくなって空き地になっていることがある。
新しくできた空き地は、上の写真のようにきれいに整地されていることが多い。
しかし、なかには目を引く痕跡が残されていることもある。
たとえば、この空き地のように門柱や塀の一部が残されていたり…
この場所のように庭の痕跡(庭石や樹木)が残されていたりする。
これらの空き地に出会うたびに、私の頭に「遺跡(いせき)」という言葉が浮かんでくる。
遺跡と聞くと、ふつうは国や地方が文化財として保護しているものを思い浮かべるかもしれない。しかし、辞書には「過去の人間の営為の跡が残されている場所。」*1と記されている。したがって、ここでは最近できたばかりであっても、過去の痕跡が残る空き地を「遺跡」として扱う。その上で、身近にある遺跡をとおして人々の営みを探ってみたい*2。
なお、この記事では以下の目次にあるように9つの場所にあった空き地を遺跡として紹介する。
前編では、はじめに 〜 5.不思議な台状遺構を取り上げ、6.神立駅前遺跡 (かんだつえきまえいせき)以降は後編で紹介したい。
目次
- 6. 神立駅前遺跡 (かんだつえきまえいせき)
- 7. 物言わぬ原っぱ
- まとめ
- おわりに
1. 外構が残る空き地
① 門柱が残された住居跡
これは旧市街で見つけた住居跡地と思われる空き地。
解体作業は済んでいるように見えるが、敷地内には過去の痕跡がいくつも残されていた。
まず最初に、隅に置いてあったこれらのものに目が留まった。
左側の機械はおそらく井戸用のポンプで、右の流しとともに使われていたのだろう。
そばには水道メーターもあった。
一戸建てがあったとすると敷地面積は広い。150坪以上はありそうだ。
地面にはコンクリート 、タイル、鉢のカケラなどが散らばっている。どれも解体工事の過程で出たものだろう。
何かの配管も残っている。
敷地の奥には石がたくさん置かれている。
あの辺りに庭があったのだろうか。
自然石やブロックなど様々である。
道沿いに奥へ進んでみる。
この辺りにもいくつか痕跡が残されていた。
マンホールとハンドホール 、それにひこばえが出た庭木の切り株がある。
その隣にあったもの。カーポートの出入り口跡だろうか。
しかし敷地前の道路はかなり狭く、ここから車が出入りしていたとは考えにくい。
そばの道と敷地の境には、古そうなブロックが残されている。かつて塀の基礎として使われていたかもしれない。
そして、この空き地で最も印象的だったのはこの門柱である。ポンプもそうだが、なぜこんなに目立つものが取り残されているのだろうか。
門柱には表札を剥がした跡がある。
門扉の向こうにもマンホールや水道メーターなどが残っている。
そして、門扉の後ろには不思議な2本の柱があった。これはもともと何だったのだろうか。
(no.355 茨城県龍ケ崎市)
② 再利用を待つ外構
先の空き地は外構の一部などが残っていたが、ここは外構のほぼ全てが残されているように見える。
将来、再び家を建てることを見越して残しているのかもしれない。
周囲の様子。
敷地は道路から高い場所にある。このことも、塀が残されている理由の一つだろう。
門扉の状態はきれいだ。
門の隣にある駐車スペースと見えられる一画。この柵は本来ここにあったものではなく、他から流用したもののようだ。
内部はもともとコンクリート舗装されていなかったのだろうか。すっかり雑草に覆われてしまっている。
柵の隙間から見た敷地内の様子。
ここも雑草に覆われ、建物の痕跡は左の配管くらいしか確認できない。
ブロック塀や門扉は壊れていないが、柵は壊れている所が多い。
(no.356 茨城県龍ケ崎市)
③ ニュータウンの遺構
ここは40年ほど前に開発されたニュータウンである。この住宅街に外構がきれいに残された空き地があった。
敷地内には雑草がほとんど生えていないので、建物が解体されてからさほど時間が経ってないのだろう。
駐車スペースもきれいな状態だ。
敷地内にはいくつか庭木や花が残されている。
あの辺りが庭だったのかもしれない。
人知れず咲くチューリップが、家があった頃を偲ばせる。
駐車スペースの隣にはエントランスの階段が残っている。ここが使われていた頃、玄関アプローチはどんな姿をしていただろうか。
空き地と階段の組み合わせは他の場所でも何度か見たことがある。そして、その度に海外の古代遺跡を思い出してしまう。
敷地内は、このようにきれいな状態である。
しかし、解体作業で出たと思われる破片がたくさん散らばっている。ガス管の表示杭(右写真)もあった。
外構が残される理由について
ここまで、外構の一部が残されている空き地、外構のほとんどが残されている空き地を紹介した。
①の空き地では、井戸用ポンプ、門、庭石など、目立つものが撤去されていなかった。
これは一体なぜだろうか。ひょっとして、まだ解体途中の土地だったのだろうか。
それに対して、②と③の空き地には外構のほとんどが残されている様子だった。
解体業や不動産業の関係者なら外構が残される理由を知っているかもしれないが、素人なりに思いついた理由を以下に記してみたい。
(1)土地の所有者が、解体・撤去費用を抑えるために残している。
(2)将来、再び家が建つことを想定して(再利用目的で)残している。
(3)不法投棄ないし不法侵入から敷地環境を守る目的で残している。
(4)その他の理由。
上のいずれか、あるいはいくつかの事情が重なって外構が残されるケースがあると考えられる*3。
なお、試しに不動産会社の売地情報を見てみたら、古い門扉、カーポート、塀などの外構が残っている空き地や、①と同じように門柱と井戸だけが残された空き地も売られていた*4。
やはり土地の所有者ごとに様々な事情があり、これらのものが残されていると考えられる。
(no.357 茨城県龍ケ崎市)
2. 田んぼ遺跡
田んぼの真ん中に奇妙な佇まいの空き地があった。
反対側の角から見た様子。
正面やや離れた場所から撮影。
敷地内には樹木が10本くらい立っており、この一画だけ周囲の水田風景から浮いて見える。
遠くから見た様子。
なぜかこの一画だけ賑やかな雰囲気だ。
敷地中央に立つ樹木。
ほとんどの樹木は敷地の端に沿って植えられている。
中央にあるシュロはわかるが、他は何だろうか。
この辺りにある低木は、よく生垣に使われるものではないだろうか。
このように、これらの樹木を眺めていると、ここはまるで放置された庭のような場所に思える。
次に敷地内で目についたのが、コンクリートで舗装されたこの一画である。
この一画の隅には、土の小山や瓦礫のようなものが置かれている。
何かの土台のようなもの。もともとこの場所に付属していたものだろうか。
左側の様子。ここにもゴミの燃えかすのようなものがある。
これらを見るかぎり、この一画はゴミ処理スペースや廃棄物置き場のようだ。しかし、整備された当初からそのように使われていたとは言い切れない。たとえば、ここはもともと駐車スペースであり、現在はこうして別の用途で使っているとも考えられるからだ。
敷地の出入口。側溝に蓋がされ、車が入れるようになっている。
ここまで樹木と舗装されたスペースに注目したが、ここがもともと何に使われていた場所なのか今一つわからない。
しかしこの空き地を撮影した後、帰り道でヒントになりそうな場所を見つけた(下の写真)。
この庭のような空間はなんだろうか。
先の空き地と同じように、敷地内には何本か樹木が植えられている。また、草花を育てている所、小さな畑らしき所、物置き場として使われている所もあった。このように、ここには様々な人の営みの形跡が見られるが、おそらく水田耕作に関わる作業場や休憩スペースとしても利用されていると考えられる。これは農業関係者にとっては当たり前の景色かもしれないが、私にとっては新鮮なものだった。
そして先の空き地も、もともとはここと似たようなスペースだったのかもしれない。
ともあれ、断定はできないので、ここでは過去の姿についていくつか推測を記しておわりにしたい。
●水田耕作に関わる作業場や休憩スペース。
舗装された区画は、駐車場か農作業で出たゴミ処理スペースに使われていた。そして、奥の空き地は作業場、休憩スペース、物置き場、畑などとして使われていたのではないか。
●建物付きの農作業スペース。
舗装された区画は駐車場で、敷地の奥に耕作のための作業小屋や倉庫が建っていたのではないか。
●物置き場。
物置き場や廃棄物置き場として使われていた。農業用肥料や作業道具などの耕作に関わるものや、農業とは無関係の廃棄物などが置かれていた。舗装された区画は、ある特定の物を置くためだけに設けられたのではないか。
もちろん、考えにくいが住宅跡地という可能性もある。しかし、空き地の周囲は水田に囲まれており、住宅街は離れた場所にあるので、その可能性は低いだろう。
いずれにせよ、様々な過去の姿を想像させられる魅力的な空き地である。
(no.358 千葉県東金市)
3. 庭化した建物跡
旧市街を歩いていたら、空き家(左)の隣に建物の基礎が残る一画があった。
やや小さめの建物跡地だ。何となく思ったことだが、これは住居跡ではなく左隣の空き家に付属する倉庫の跡か、あるいは何かの店舗跡ではないだろうか。
だいぶ荒れてきているので、解体されてから長い間放置されていると思われる。
敷地内にはプランターがいくつも並んでおり、奥にはホースらしきものも見える。
また、手前に倒れている長い工作物は何だろうか?ベンチや鉢置き台のようにも思えるが…。
建物を解体した後、おそらくこの建物跡地は庭として使われていたのではないだろうか。植物を育てていた頃の様子を見てみたかったが、きっと当時は魅力的な空間だったに違いない。
左隣に空き家がひっそりと佇んでいた。
(no.359 茨城県龍ケ崎市)
4. タクシー営業所横の遺構
タクシー営業所の脇にあった謎のスペースである。
地面は舗装されているので、もともとは何かに利用するために設けた場所だろう。
過去の痕跡として目についたのは、コンクリートブロック、のぼり旗の土台らしきもの、トタンの切れ端などである。仮設電柱が立っているが、この空き地が使われなくなってから設けられたものかもしれない。
また、建物の壁面には木材が横にして打ち付けられているが、何に使われていたかわからない。
ここも結局わからずじまいだが、おそらく洗車スペースか、単なる駐車スペースだったのではないだろうか。
営業所の外観。
(no.360 茨城県龍ケ崎市)
5. 不思議な台状遺構
集合住宅の横に不思議な石垣が設けられていた。
しかし、石垣と建物はマッチしてない。おそらく、石垣は集合住宅が建てられる前からここに残されており、昔はこの敷地に農家などの和風住宅が建っていたのではないだろうか。
そして、この石垣の端に小さな台状の一画があった。
正面から見た様子。
右側はコンクリートで舗装されているが、
左側は草で覆われてしまっている。
ひょっとしたらこの部分も、もともとコンクリート舗装されていた可能性がある。しかし、風で土が運ばれて溜まったり、コンクリートにひび割れができたりして、雑草が根付いたのかもしれない。
おそらく、このスペースはマンホールなどが設置されていた場所ではないだろうか。しかし、よく観察してもその痕跡は見当たらなかった。
もう一つ気になったのが、隣の石垣の中にある通路のようなものだ。幅は2、30センチほどだろうか。これがこの台状のスペースと何か関係しているのかもしれない。
今ひとつわからない、不思議な空きスペースである。
(no.361 茨城県龍ケ崎市)
*1:松村明・三省堂編修所編『大辞林 第三版』三省堂、2006年、135頁。
*2:なお、下中邦彦編『大百科事典』第1巻(平凡社、1984年、田中琢「遺跡」980頁。)には、地上や地下に残る過去の人間活動の痕跡が、考古学研究の史料や文化財保護の対象となった場合に遺跡と呼ばれ、類似したものでも研究や保護の対象にならないものは遺跡に含まれないことが記されている。この記事で紹介する空き地は、もちろん考古学研究の対象ではないし、文化財として保護されているようなものもない。言うなれば考現学の対象かもしれないが、ここではあまり言葉の厳密性にとらわれず、先の『大辞林 第三版』にあるような広い意味で使いたい。
*3:このことについて市に問い合わせたところ、不動産の利用はあくまで個々人の意向によるものという説明があった。その上で「所有者様が不動産の管理上の観点から塀などを残しているのではな
*4:参照:葉山不動産ナビホームページ「秋谷・売地」(http://www.ifj.co.jp/article/16191156.html)、長尾台不動産ホームページ「売り土地:川西市満願寺町」(https://nagaodai-realestate.com/uri-kawanishi-manganji-toti-ws.html)、不動産情報ネット「ふれんず」ホームページ「(98511601)/遠賀郡水巻町吉田南1丁目/筑豊本線東水巻駅の物件情報|売地(売土地)」
(https://www.f-takken.com/freins/items/98511601?1589709645652)など。全て2020/5/30閲覧。