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6. 神立駅前遺跡 (かんだつえきまえいせき)
(神立駅前遺跡 / 撮影日:2019年6月26日、7月10日)
土浦市のJR神立駅前に、建物や駐車場の痕跡が残された広い空き地があった。
上の写真がその全体像で、奥に向かって10区画分くらい連なっている。
実はこの空き地は、土浦市とかすみがうら市が行う土地区画整理事業の工事エリアに該当する*1。区画整理の対象になっている土地は、上の写真の場所以外にもあり、すでに整地作業を終えたきれいな空き地もあった。
痕跡を残す空き地のうち、一番端にある区画。
ここには土間コンクリートが残されている。過去のストリートビュー画像を見ると、この道沿いには商店が軒を連ねていたようだ*2。
反対側から見た同じ区画。
一つ隣の区画。
ストリートビューの画像には、ここにやや奥行きのある建物が写っていた。しかし、店か住宅かはわからない。
残されたコンクリートには削り取ったような跡があったり、
そばには解体で出た瓦礫と思しきブロックが置かれている。
さらに隣の区画。 右の薄褐色のあたりまでが一つの区画になっている。
解体されてからどれくらい時間が経っているのだろうか。敷地の奥のほうは雑草に覆われて確認できない。
敷地の右側には玄関タイルやフロアシートが残っていた。ここにも店があったようだが、何を扱っていたのかはわからない。
さらに隣の区画へ進む。この道沿いには、あと3区画分くらい空き地が連なっている。
このタイルが敷かれた部分は屋外通路だったようだ。おそらく玄関までのアプローチだったのではないだろうか。
通路につながっている敷地。ストリートビューの過去画像を確認すると、靴屋らしき店が写っていた。
昭和を感じさせる柄のフロアシート。
この辺りを歩いている最中、先ほどの区画の奥のほうを見ると、雑草の隙間から建物の基礎部分が残っていた。
さらに隣の区画の様子。
ストリートビュー見たら、ここには衣料品店があったようだ。
手前のフロアシートには四角いエントランスの痕跡が残されている。
そして奥を見ると、そこには別棟と思われる建物の基礎があった。ここは店員の居住棟だったのかもしれない。
広角レンズなので奥行きが長く感じるが、実際は奥の建物まで35メートルくらい。
さらに一つ隣の区画。ここが一番端の空き地になる。
ストリートビューを見ると、ここにはかつて3階建てのビルがあり、貴金属買取店などの店が入っていた。
この区画の奥のほうにも別の建物の基礎が見える。 気になったので、反対側の道に回り込んでみることにした。
そして、ここが先ほどの空き地の裏側にある区画。
ここから見ると基礎が複雑に区切られている。
隙間から生える雑草が視覚的なリズムを生んでいる。見ていて楽しい景色だ。
この辺りも同じ区画だと思われる。
よく見ると、右側に何か取り残されたものがある。
ハスの鉢がある。正確には、古井戸らしき土管にハスの鉢が入っているようだ。そしてそばには水道の蛇口がある。
人が立ち去った場所に、ポツンと生き物が生き続けている姿はなんとも寂しげだ。ひょっとして水の中には、メダカや金魚などが泳いでいるかもしれない。
同じ区画を別角度から撮影。これらの痕跡を見ると、おそらくここは住宅だったのではないだろうか。
ここまで歩いてきて気づいたのだが、先ほど撮影していた反対側の道に忌竹が立っている。
おそらく解体工事の安全を祈願するものだろう。
これはハスが残っていた土地の隣の区画。ここには居酒屋があり、正面には取り壊し予告と思しき張り紙がある。
この居酒屋の隣の区画。
ここは使われなくなった駐車場だろう。手前には塀の基礎が残っている。
駐車場の前にあった壊れかかったゴミ集積所。
使用状況は不明だが、しばらく使われていないように見える。
ゴミ集積所の隣の区画。
最初に写した区画の反対側にきた。ここにもタイルが貼られた建物の基礎部分が確認できる。
そして、これと同じ区画の角に塀の一部分が残されており、
内部には解体で出たと思しき瓦礫が置かれている。
これで、ようやくこの広い空き地を一周できた。
なお、このそばでは新しい道路(都市計画道路)が造られている最中だ。
計画*3によると、この道路の完成は2019年度中であるらしい。
また、別の場所には建物の基礎の解体工事を終えた広い空き地もあった。
Googleマップの航空写真によると、かつてこの空き地には建物がいくつか建っていたが、その痕跡は現在ほとんど残されていない。
しかし、過去の痕跡としてこのように一箇所だけ入り口部分が残されていた。 この入り口部分もまもなく取り壊されてしまうだろう。
駅のそばに戻ってくると、ここにもまた別の解体途中の空き地があった。
ストリートビューを見ると、ここはかつて駅前駐輪場だったようだ。
そして、隣の区画には下の写真のように、解体を終えたもう一つの空き地があり、そこには旧駅舎があったとみられる*4 。
(no.362 神立駅西口地区 / 茨城県土浦市、かすみがうら市)
7. 物言わぬ原っぱ
私の街にはこのように何年も放って置かれている原っぱがある。
敷地内はガランとした心地よい空間が広がる。
草刈りが定期的に行われ、ゴミもなくきれいに管理されている。
この倒れた木の柵は、この壊れた塀の部分を塞いでいたものだろう。
そしてこの塀の部分は、敷地内の建物の解体工事の際に壊されたものかもしれない。
敷地を囲う塀。
下の段には模様付きブロックの両端に隙間が空けられている。これは単なるデザインなのか、それとも何かの用途があったのだろうか。
塀には合計3つの門が残されていた。
この門の右側には、木製看板の基板らしきものが取り残されている。
正面から見た様子。この門の姿から想像すると、敷地内には何らかの事業所が建っていたのではないだろうか。
門柱のそばに郵便受けが残っているが、表札の跡はどこにも見当たらない。
ここからも良い眺めだ。つい何度も中を覗いてしまう。
次に反対側(写真左奥)の角に移動してみよう。
反対側の角から見た様子。
ここには個人住宅などでよく目にする伸縮式の門がついていた。しかし門柱はない。つまり、先ほどの門がメインの出入り口だったと考えられる。
ここには小さな門があった。おそらくこの辺りに勝手口があったのだろう。
この空き地の特徴は敷地面積が広いことだが、内部は草が繁っているばかりで過去の痕跡はほとんど見当たらないので、今回は外構の様子から過去にあったものを推測してみた。
なお、ストリートビューで過去の画像を調べたところ、最も古い2013年1月の画像でもここは空き地の状態だった。また、Google Earthの過去の航空写真を見ると、唯一2004年のものに建物が写っているのが確認できた。しかし、画像が不鮮明なので、住宅なのか事業所なのかは判断できなかった*5
このように、不思議な空き地を見つけると地図検索サービスなどを使って過去の姿を調べることがあるし、場合によっては付近の住人に話を聞くこともある。しかし、土地の過去についてわざわざ調べなくても、「何があったんだろう」と想像するだけでも一つの楽しみ方だと思う。
(no.363 物言わぬ原っぱ / 茨城県龍ケ崎市)
まとめ
ここまで見てきたように「過去の痕跡が残る空き地」と一口に言っても、その姿や性格は様々である。
最後に、本記事で紹介した様々な空き地をそれぞれの成り立ちをもとに次のように分類してみたい。
(1)建物や施設が解体され、その一部が取り残されたもの
これに分類されるのは次の五つである。
1 . 外構が残る空き地
3 . 庭化した建物跡
5 . 不思議な台状遺構
6 . 神立駅前遺跡
7 . 物言わぬ原っぱ
1、5、7は再利用を見越して残された、撤去費用を抑える目的で残された、不法投棄ないし不法侵入から敷地環境を守る目的で残された、その他の理由で残された、と考えられる。なお、5は外構の一部分に残された空きスペースであり、珍しい例だった。しかし、その用途が何であったかが分からない不思議な遺構である。
3は、建物跡(基礎)が庭として使われた形跡がある例で、二重の遺跡として興味深いものである。この場所のように、本来の用途とは別の使い方がされた空間には独特の魅力を感じる。
6は解体作業過程の後半において現れる空き地であり*6、消えつつある建物の最後の姿として印象的である。
ここに分類した空き地はどれも建物を解体する営みによって生まれたものである。しかし現地を訪れてみると、解体の背景には所有者や管理者の様々な事情、地域の事情などがあることが窺い知れた。
(2)使われなくなったスペースと見られるもの
ここに分類されるのは4. タクシー営業所横の遺構である。
これは屋外スペースだが、もともとは屋根がつけられた半屋外スペースだった可能性がある。どのように使われていたのか分からないが、いずれにしても当初は何らかの用途に使われた空間だったと考えられる。また、ここは建物に付属した場所なので廃墟らしい雰囲気を感じる。
(3)成り立ち不明のもの
2. 田んぼ遺跡が分類される。
これは(1)、(2)のいずれかの空き地と考えられるが、残された痕跡をもとに判断することはできなかった。建物跡地かもしれないし、使われなくなった物置き場や作業場かもしれない。敷地内に立つ樹木と舗装された一画が謎めいた雰囲気を醸し出し、魅力的な空間を形作っていた。
おわりに
本記事の空き地が生まれる背景には、老朽化した建物の建て替え、事業者の移転や閉業、住人の引っ越し、土地の売買、利用目的の消失などの様々な事情が土地の関係者にあると考えられる。
また、自治体が行う区画整理事業、住民の高齢化や人口減少による街の衰退など、地域の事情が要因のこともあるだろう。
ここで紹介した様々な痕跡は普通の人から見ればどれも取るに足らないものかもしれない。しかし私にとっては、たとえわずかな痕跡であれ、そこに人が住んでいたり、何かに利用されていた頃の姿を想像する十分なきっかけになる。
この種の空き地を訪れるうちに、空き地は私にとって過去に意識を向けさせる特別な存在になった。そして、街の景色が絶えず移り変わるという当たり前の事実を肌で感じたり、さらに、建物がそうであるように、自分もまた一過性の存在であることを認識させられるようになった。
なお、本記事では過去の痕跡が残された無名の空き地を紹介してきた。しかしその一方で、土地の過去について詳しく調査され、国や地方によって保護や活用の対象になっている有名な空き地もある。
たとえば、ここは一見なんの変哲もない空き地だが、縄文時代の遺跡が発掘されたため、文化財として保護されている場所である(田端・田端東遺跡)。
このように、歴史的価値が認められている空き地、地質学的価値が認められている空き地なども存在し、現地に設置された標識や公共機関のホームページなどでその価値が説明されている。つまり、これらの場所では知識にもとづいて空き地を見る環境が整えられているのである。
そのいくつかについては以下の記事で紹介している。
田端・田端東遺跡(たばた・たばたひがしいせき) - 空き地図鑑
北条氏常盤亭跡(ほうじょうしときわのていあと) - 空き地図鑑
また、下の写真のように本記事で紹介した空き地に似たものがある。
(津波被害によってできた空き地。2016年10月14日、宮城県石巻市にて撮影。)
しかし、これは自然災害という特殊な出来事がもとになってできた空き地である。
この種の空き地については以下の記事で紹介している。
宮城県石巻市南浜町・雲雀野町・門脇町の空き地 - 空き地図鑑
*1:※(本脚注は2020.12.15.に修正)この事業は、土浦市が行なう都市再生整備計画の関連事業に位置づけられており、「神立駅西口土地区画整理事業」と呼ばれる。事業主体は「土浦・かすみがうら市土地区画整理一部事務組合」で、規模は神立駅西口地区の2.2haである(土浦市ホームページ「都市再生整備計画 神立駅周辺地区(第2回変更)」2019年1月、https://www.city.tsuchiura.lg.jp/data/doc/1554118220_doc_34_0.pdf(2020年12月15日閲覧)。なお、本ホームページには同事業と考えられる名称が複数記載されており、「神立駅西口土地区画整理事業」のほかに「都市再生土地区画整理事業(神立駅西口地区)」や「土地再生区画整理事業」の名称が確認できる。また、土浦市ホームページ「神立駅周辺地区(茨城県土浦市)整備方針概要図」(https://www.city.tsuchiura.lg.jp/data/doc/1554118220_doc_34_1.pdf(2020年12月15日閲覧))には、同事業と考えられるものが「都市再生土地区画整理事業(神立駅西口地区)」と記されている。なお、この区画整理事業は2021年度まで行われるようだ。
*2:Googleマップのストリートビューで2012年12月の画像を参照。これ以降、本見出しにある空き地の過去の姿がわかるものについては、同機能の2012年12月と2018年5月の画像を参照した。
*3:前掲、「都市再生整備計画 神立駅周辺地区(第2回変更)」(https://www.city.tsuchiura.lg.jp/data/doc/1554118220_doc_34_0.pdf)
*4:参照:Google マップhttps://www.google.co.jp/maps/@36.1206052,140.2481069,3a,37.5y,154.77h,92.21t/data=!3m7!1e1!3m5!1sjBLAgE2uGgRw6CJSTvZlew!2e0!5s20170901T000000!7i13312!8i6656?hl=ja
*5:Google Earth Pro(構築日2020.5.7.)の「過去のイメージ」機能で2004年3月6日の画像を参照。
*6:参照:家屋解体情報サイト解体工事キング「木造解体作業手順(本作業)http://解体キング.com/koujibu/mokuzou/tejyun_mokuzou/tejyun_2.html、「鉄筋コンクリート造(RC)解体手順書(地上解体・基礎解体)http://解体キング.com/koujibu/tekkin_konkurito/tekkin_konkurito/tejyun_5.html(2020.6.13.閲覧)