空き地図鑑

空き地、更地、使われていない資材置き場、オープンスペース、祭祀場、住居跡地など、「空いている場所」がもつ様々な機能、意味、魅力を探ります。 (※本ブログに掲載の写真および文章の無断使用(転用・転載など)は禁止しています。)

無名の遺跡5

井戸ポンプが残る住宅跡地

農地が広がるエリアを歩いていると、不思議な痕跡が残る住宅跡地に出会った。

上の写真は空き地を南東の角から見た様子。

過去に撮影された航空写真を確認したところ、2009年頃までここに建物が立っていたが、2011年にはそれが無くなり空き地になっている*1 

f:id:akichiniiko:20211105215153j:plainそして、これが反対側(南西)の角から撮影した全体像。

広さはおよそ100平方メートル(30坪)くらいで、敷地内には外構の基礎、井戸用ポンプらしきもの、用途不明の箱などが残されている。

ちなみに、上の写真の左端から奥にかけて立つ白いフェンス内は、太陽光発電に使われている。

f:id:akichiniiko:20211105215334j:plain敷地の大部分はエノコログサやオヒシバと思しき草で覆われているが、ひょっとしたらこの下に何かの痕跡(人工物)が残されているかもしれない。

f:id:akichiniiko:20211105221530j:plain道路と敷地の境界には、玄関への段差と見られるコンクリートが残されていた。

f:id:akichiniiko:20211105221646j:plainよく見ると、この段差にタバコの吸殻が落ちている。最近、誰かがここに腰かけて休憩していたようだ。

f:id:akichiniiko:20211105221517j:plain敷地の角にはブロック塀の基礎が残っている。

f:id:akichiniiko:20211105215524j:plainそして、この空き地で最も目立つ過去の痕跡が、南東の角に残されたこれらの人工物である。

ここには木箱のようなもの、白い円筒形の機械、塀の基礎部分と見られるコンクリートブロックがある。また、不思議なことに、この辺りだけにドクダミと思しき植物がかたまって生えている。

f:id:akichiniiko:20211105221330j:plainこの円筒形の機械は井戸用ポンプだと思うが、黒目のロボットが草の上に座っているみたいで愛らしい。

この辺りにドクダミが生えているのは、井戸水により地面が湿っているからではないだろうか。もちろん、このポンプはもう稼働していないはずだが。

f:id:akichiniiko:20211105215500j:plainそして、ポンプらしき機械の隣には謎の箱が置かれている。一見したところ木箱に見えるが、枠部分のみ木製で、木目調の板はトタンにプリントされたイミテーションである。勝手な推測をすれば、この箱はもともとポンプを保護していたものだと思う。

f:id:akichiniiko:20211105221548j:plain箱の前の地面にはコンクリート片が散らばっている。おそらく塀の解体作業で出たものだろう。

(no.471 茨城県)

 

 

消防団器具庫跡と見られる空き地

住宅街の角地に防火水そうが設置された一画があった。

一見したところコンクリートに覆われた殺風景な土地である。しかし、中央の四角い部分が地下に埋設された防火水槽と見られ、その周囲にいくつか建物の痕跡らしきものが残されている。

たとえば、上の写真の手前中央には、柱の土台跡と見られる小さな四角が見える。

 

なお、このブログでは防火水そうが設置された土地のことを"都市機能を担う空き地"と見なし、「消防活動用地」と呼んで紹介したことがある(下記リンク参照)。

防火水そう / 消防活動用空地 - 空き地図鑑

この土地も消防活動用地にあたるが、過去の痕跡が魅力なので、本記事では「無名の遺跡」として紹介したい。

先ほどと反対側から見た敷地内の様子。

四角く区切られた部分が防火水槽と見られ、その右奥の隅にはホースを入れる「吸管投入口」の蓋が見える。

そして、水槽の脇にある傷んだコンクリート部分(写真左側)を観察すると、そこにも建物の痕跡らしきものが見つかった。

傷みが進行しているコンクリート部分。ひび割れから雑草が生えている。

ここには四角い蓋の水道メーターボックス、丸い蓋の止水弁が残っていた。

おそらく、これらはもともと建物に付属していたものではないだろうか。なお、写真右下には柱の土台跡らしき四角形がある。

この空き地を訪れた後、この場所の過去の姿を航空写真で確認してみた。すると、1987〜1990年に撮影された写真には、敷地のほとんどが建物でおおわれており、2008年の航空写真ではその建物が無くなっていた*2。つまり、1990年頃〜2008年の間に建物は解体されたことがわかるが、写真の画質が粗いためそれが何の建物かまではわからなかった。

また、この建物と防火水槽の関係については次の2つのケースが考えられる。

 

①もともと防火水槽の上に建物が立っていたケース。

②建物を解体した後に新たに防火水槽を埋設したケース。

 

ここまで観察した限りでは、①と考えられる。なぜなら、防火水槽とその周囲にあるコンクリート部分は一体化しているように見えるからだ。仮に②であれば、水槽周囲のコンクリート部分は工事の邪魔になるので撤去していたはずだろう。

離れた場所から見た空き地の様子。

反対側から見た様子。

ここの隅には比較的新しそうなブロックが置かれていた。用途はよくわからない。

以上のように、敷地内に残る水道設備の痕跡、柱の土台跡らしきもの、航空写真に写っていた建物の姿をもとに、次のように過去の様子を想像してみた。

かつてこの土地には2階建ての消防団器具庫があり、防火水槽の上は消防自動車のカーポートあるいは倉庫になっていた。そして、2階は団員が集まる詰所だった。その後、この施設は使われなくなり、やがて解体され現在の姿になった。

 

現在の様子から過去にあった建物も消防施設だったと推測するが、はたして実際はどうだったのだろうか。

(no.472 千葉県)

*1:Google Earth(Google Earth Pro 構築日:2020年7月21日)の航空写真を参照。2009年4月23日には小さめの建物が立っている様子が確認できたが、その次に撮影された2011年3月29日の写真では建物が解体されていた。

*2:地理院地図(https://maps.gsi.go.jp)にある1987-1990年の航空写真(「年代別の写真」)と、2008年に撮影された写真(「年度別写真」)を参照。(2022.7.18.閲覧)