以前、このブログでは身近にある様々な「使われていない農地」を紹介し、それらについて整理してみた(以下参照)。
冒頭の写真は、2020年8月に撮影した耕作放棄地(あるいは休耕地)とみられる空き地。
「耕作放棄地」とは、以前耕作していた土地のうち、過去1年以上作物を栽培せず、この数年の間に再び耕作する意思がない土地のことを指し、逆に作付けの意思がある土地は「休耕地」と呼ばれる*1。
この空き地は、私が2年ほど観察した限りでは耕作されている様子は見られない。ただ、いつも夏に観察しているので、他の季節では何かを栽培している可能性もある。
面積は全部で4.5ヘクタールほどあり、南北の奥行きが約100m、東西の幅が約450mである。
これは冒頭写真の場所を近くで見た様子で、空き地の西端付近にあたる。
向かって左側に細い農道が通っているので、東に移動しながら観察していきたい。
同じく空き地西端の様子。
一面に雑草が生えているが、丈は伸びておらずススキなどの多年草の姿もない。何年も放置されていればもっと荒れているはずなので、毎年除草作業が行われているか、もしくは使われなくなってからさほど時間が経過していないのだろう。
ちなみに、この空き地を訪れた際は一人の郵便配達員とすれ違っただけで、それ以外に人の姿は見かけなかった。道沿いには空き地しか広がっていないので、当然といえば当然である。しかしそのおかげで、人気のない静かな環境のなか美しい草の緑を眺めていられる貴重な空間が生み出されている。
草に埋もれた中に、水量を調節する水閘栓(すいこうせん)らしきパイプの姿があった。つまり、この広い空き地は水田跡地と考えられる。
土地のほとんどが雑草に覆われているが、畦道らしき部分は除草されている。このように、ここは完全に放棄された土地ではなく、定期的に人の手が入っている様子が窺える。
少しずつ東に移動しながら撮影。
敷地内の所々に、うっすらと畔の痕跡が残されている。
農地沿いを通る小道の様子。冒頭写真は奥の丘の上から撮影。
さらに東へ道を進む。
この辺りも耕作されている様子は見られない。
ここに樹木が生えている一画があった。
これは単に開墾されなかった区画だろうか。しかし、かつて休憩場や作業場として使われていた一画かもしれないし、田の神を祀っていた場所だったかもしれない。
敷地の奥(南端)の様子。突き当たりには森が広がっている。
この辺りも畔道だけ除草されているように見える。
来た道を振り返る。
似たような景色が続くが、このあたりまでが敷地の半分(西側)にあたる。
さらに東へ進むと、道沿いに栗の木が立っており、雑草のつるに飲まれてトンネル化していた。
トンネルを抜けると、視界が開けて残りの半分(東側2.2ヘクタール分)の空き地が姿を現す。
見えている範囲は作物が栽培されている様子がなく、きれいな草の海が広がる。なお、写真の左奥が敷地の東端にあたる。
歩いてきた道。冒頭の撮影地点(奥)からここまで400mほど。
敷地の東端付近に到着。
様子は西側エリアとほとんど変わらず、畔道と思われる場所だけ除草されている。
2年ほど経過した2022年7月、再びこの場所を訪れた。
これは冒頭写真と同じ場所から撮影した姿だが、相変わらず作物が栽培されている様子はない。
近くで見た地表の様子(西側)。
空き地の東側の様子。このように、毎年きちんと除草されていることがわかる。
先述したように、敷地内には水閘栓らしきものが残されていたので、この広い空き地は水田跡地で間違いないだろう。
これまで観察した限り、少なくとも2年以上耕起されていないようだが、素人なのでこれ以上のことはよくわからない。ひょっとしたら、ここは牧草採取地かもしれないし、春秋などに限定して何かを栽培している土地かもしれない。
仮にここが耕作放棄地であれば、農業従事者の年齢(体力)や採算という現代の農に関する問題について意識させられる。しかし、これだけの面積を荒廃しないように除草管理し続けているということは、近い将来何かを作付けする予定の「休耕地」とも考えられる。
今後どうなっていくのか、引き続き注目していきたい。
(no.470 茨城県)
*1:「耕作放棄地」の定義は、農林水産省が5年ごとに実施する統計調査「農林業センサス」にもとづいているが、2020年度より耕作放棄地は調査項目から削除されている。