ストーンサークル(環状列石)は、主に先史時代につくられた祭祀場で、インド、アフリカ、ヨーロッパ、中東、東アジアなど世界各地でみられる。
その性格も様々で、墳墓の一部としてつくられたもの、石自体が信仰の対象になっているもの、聖域を囲む垣として設けられたものなどがある*1。
日本でも東北や北海道を中心に存在し、その大きさも様々である。
私が初めて見たストーンサークルは、写真に写されたものだった。おそらく、イングランドの湖水地方にあるスウィンサイド・ストーンサークルだったと思う。それを見た時、その奇妙な姿に感動しながら、なぜ石で囲んだ中には何もないのか興味をそそられた。
※ 参考記事→ Swinside Stone Circle*2
前述のように、ストーンサークルの性格は様々だが、祭祀に関連してつくられたものであることは確かだ。
置かれた石にも、囲まれた何もない空間にも、神秘的な意図を感じられる。
眺めていると、つい、ストーンサークル建造の厳かな儀式の様子まで想像してしまった。きっと、現代人には見ることができない異界の風景を、当時の人々は日常的に見ていたのだろう。
スウィンサイド・ストーンサークルの造形は、いま改めて見てみても神秘的だ。
上の参考記事によれば、このストーンサークルは直径29mの完全に近い円形をしており、50以上の石(55という意見もある)で形づくられている。また、教会建設に利用されるのを防ぐため、悪魔がこれらの石を地中に埋めたという言い伝えもあるようだ*3
この言い伝えは、キリスト教伝播によりつくられたものだと思うが、そのように想像してしまう気持ちも理解できる。この綺麗で不思議な造形を見れば、何か魔術的な力や存在によって造られたと考えてしまうだろう。
個人的には、内部の何もない場所がどんな意味(機能)を持っていたのか気になる。しかし、ひょっとしたらこれが造られた当時は、ここに何かが設けられていたのかもしれない。
東京都町田市でも縄文時代につくられたストーンサークルが発掘されており、現在はそのレプリカが発掘現場の上に設置されている(下の写真)。
ここで発掘されたストーンサークルは、田端環状積石遺構(たばたかんじょうつみいしいこう)と呼ばれ、史跡に指定されている。
(no.74 町田市田端環状積石遺構 / 東京都町田市)
なお、レプリカのある付近からは、同時代の集落跡や墓地などの遺構が発見されている。
このストーンサークルは、集団墓地の上に設けられており、現地の標識のよれば「死と再生に関連する祭祀を行った場」と考えられている*4。また別の標識によれば、このストーンサークルの幅は、東西に約9m、南北に約7mの楕円形をしている。そして、その東西に伸びる長軸上に富士山を望むことができ、冬至には蛭ヶ岳に沈む夕陽が見られるそうだ*5。この遺構については、これ以上調べていないので詳しくはわからない。しかし、おそらく当時は、天体の動きと人の魂が密接に関わるものと考えられ、ストーンサークルは、死者の魂を再生させる装置として儀式に利用されていたのかもしれない。
なお、ここでは上の写真のような大きなものの他に、小さなストーンサークルも発掘されている(下の写真)。
儀式は、サークルの中の空き地で行われたのだろうか?それとも、そこは神聖な場として立ち入りが禁じられ、円の外側で行われたのだろうか?
また、これをつくる時には、どのような基準で石が選ばれ、並べられたのだろうか?
復元された石を眺めていると、いろいろな疑問が湧いてきてしまう。
(no.75 小さなストーンサークル: 町田市田端環状積石遺構 / 東京都町田市)