石垣跡地
ここは、長野県上田市の上田城跡内にあった石垣跡(本丸西虎口)である。
上田城は、16世紀に真田昌幸によって築かれた城で、国の史跡に指定されている。なお、この城は関ヶ原の戦いの後に一度壊され廃城になったが、その後の江戸時代中に再建された歴史がある*1。
現地の案内標識によれば、この本丸西虎口にはかつて櫓門(やぐらもん)が設けられていたそうだ。
詳細はわからないが、ここに築かれていた石垣は櫓門を支えていたものかもしれないし、虎口(こぐち)を形づくるものだったのかもしれない。あるいは、建設途中で未完成のまま残された石垣跡とも考えられるだろう。
写真奥には石垣の痕跡として僅かな段差があり、階段と小屋が設けられている。ここは、以前紹介した「痕跡を残す空き地」(参照:痕跡を残す空き地 2 - 空き地図鑑)の城バージョンになるが、これらの痕跡や、城内の他の場所に残っている石垣、東虎口の櫓門などを参照すれば、当時の様子も想像しやすいだろう。
(no.80 上田城跡内の空き地 / 長野県上田市)
円覚寺跡の空き地
ここは、沖縄県那覇市の円覚寺跡にあったデッドスペース(通路跡地)である。
円覚寺は琉球王国における臨済宗の総本山で、王統の菩提寺として15世紀に創建されたそうだ*2。なお、ここは現在は国の史跡に指定されている。
写真は境内の脇にある小さな門へと続く通路だが、実は門にはフェンスが張られていて行き止まりになっている。
門へと続く道。
門にはフェンスが張られ、立ち入り禁止となっている。また、フェンスから中を覗いてみても特に目につくものはないので、結局この通路を引き返すことになった。
なお、この門の右隣(一段下がった場所)には立派な総門がある。滞在時、そこには見学者が多かったが、この通路跡地をわざわざ訪れる人はほとんどいなかった。
同じく円覚寺跡の脇にあった門の跡である。
その内部は空き地になっていた。現地の標識を見るかぎり、この寺院が使われていた頃は通路として使われていたようだ。しかしそれなりに横幅もあり広いので、通路以外の使い方もあったかもしれない。
(no.81 円覚寺跡の空き地 / 沖縄県那覇市)
*1:参照:上田市ホームページ 「上田城の歴史」
http://www.city.ueda.nagano.jp/bunka/tanoshimu/bunka/rekishi/index.html
*2:参考:沖縄県教育委員会設置の現地標識による。