人が出入りしなくなった住宅や事業所では、庭や駐車場が荒れ、そこが独特の佇まいの空き地に生まれ変わる。
上の写真は廃屋の隣にある空き地で、地表のほとんどが雑草に覆われている。しかし、隅のほうはまだ草に侵食されておらず砂利が覗いていた。この様子から推測すると、ここはかつてこの建物に付属する駐車場として利用されていたのだろう。
建築家の小西敏正氏は、「住まいの玩具箱 時間軸で見た住宅 廃屋と空地」の中で、使われていない建物と空き地の関係について述べている*1。
そこでは、過疎化、地価の変動、自然災害などの様々な理由で建物が無人化し、やがて廃墟となり、最後に空き地になるケースを紹介している。
ここで述べられているおもなケースは次の二つである。
①木造の建物が経年によって徐々に朽ち、やがて自然倒壊し、そこが空き地になるケース。
②廃屋が人の手によって取り壊され、新たに空き地ができるケース。
ここでは、おもに上の二つのケースが挙げられているが、建物に付属する土地(庭や駐車場)が荒れ、使われない空き地になっているケースについては詳しく述べられていない*2。しかし、私はこのような建物と共に残されている使われなくなった庭や駐車場にも魅力を感じる。
また、小西氏は新興住宅地の空き地について、「一度人の暮らしが染みついた空地と違って何故か明るい。」*3と印象を述べている。
私も、開拓されたばかりの地域にある空き地と、人が住み続けてきた地域にある空き地とでは異なる印象を抱く。とりわけ、空き家や廃墟に付属する空き地に訪れると、過去に住んでいた人たちの思念がそこに取り残されているような、独特の暗さを感じる。
それらの空き地の多くは、かつて庭や駐車場として使われていた場所である。そこには、植木、庭石、花壇、水道管などの庭の痕跡が残されていたり、砂利や車止めブロックなどの駐車場の痕跡が残されていたりする。このような空き地の姿を、隣に建つ古い建物とともに眺めていると、住んでいた人の年齢、家族構成、立ち退いた理由などについて色々と想像してしまう。
しかし、これらの空き地に感じられる「暗さ」は決して一様ではなく、場所によって微妙に異なる。おそらく、そこが使われなくなった理由は様々であり、それぞれ固有の歴史(物語)を持っているからだろう。
(冒頭写真:no.212 東京都板橋区)
物干し台のある空き地
この空き地は左隣の家の庭だと思われるが、人が住んでいる様子はみられない。二つの取り残された物干し台が印象的である。
空き家と庭の全景。時々この家の前を通るが、人が出入りする様子は見かけない。
一階の左側にはガラスドアと装飾テントの骨組みが確認できる。おそらく、かつて一階が何かの店や事務所として使われ、二階が住居だったのではないだろうか。
乾いた砂利の地面、白い何かのカケラ、使われなくなった物干し台、トタンづくりの古い家、セイタカアワダチソウらしき植物…。これらが人が立ち退いた後の寂しさと、使われていない時間の長さを感じさせる。それとともに、人が住んでいた時のことを色々と想像させてもくれる。 なお、敷地の奥には関東鉄道(竜ヶ崎線)の線路が通っている。通過する電車を背に、洗濯物を干すかつての住人の姿が目に浮かぶようだ。
(no.213 茨城県龍ケ崎市)
畳が敷かれた空き地
空き家の隣に三角形の空き地が取り残されていた(右側の砂利道は別の住家に続いている。)
一見、この空き地は宅地開発の過程で余ってしまった土地であり、この家に付属する土地ではないように思えた。
ところが、近づいてみると、地面に畳が何枚も敷かれているのを発見した。
この畳は、家を閉鎖した際に業者が部屋から出したものかもしれない。あるいは、かつての住人が畳の張替えのタイミングに合わせて、防草シート代わりに敷いたとも考えられる。
いずれにしても、この空き地は隣家に付属する土地と言えそうだ。
防草シートの効果を期待して敷かれたのかもしれないが、雑草が突き抜け、すでに効果は失われている。
空き家の出入り口はベニヤ板で閉ざされていた。そして、その上の壁面には、文字が書かれた痕が薄く見える。
また、この家の左隣には、シャッターが下りたトタン小屋もあった。きっと、これらの建物はセットになっていて、何かの店だったのだろう。そして、右の家の二階が住居になっていたと考えられる。
(no.214 茨城県龍ケ崎市)
事業所跡地
ここは工事会社の跡地とみられ、事務所兼作業場と思われる建物が残されていた。
囲いのロープには、子供が中で遊ばないように赤い標識が付けられている。
砂利が敷かれたこの場所は、駐車場兼資材置き場だったのではないだろうか。
建物一階の右側には、半分くらいツタに覆われたハシゴらしきものが見える。おそらく、二階に続く階段が経年により崩れてしまったのだろう。
ガレージにある車も気になる。ここを立ち退く前から壊れていたのだろうか。
屋外には資材や道具が取り残されていた。
白いソファはあまり汚れておらず、長い間放置されているようには見えない。ひょっとしたら、最近不法投棄されたものかもしれない。
空き地の手前側(道路側)にはマンホールがあった。これは、ちゃんとここに設置されたマンホールだと思われるが…
これは中から雑草が生えてきているので、蓋の部品が置かれているだけだろう。少し調べたところ、ここは水まわり専門の工事会社だったようだ。
(no.215 茨城県龍ケ崎市)
廃墟に付属する空き地
廃墟とその隣にあった空きスペース。
写真の右側には玄関らしき特徴的な屋根があるが、壁面はツタに覆われてしまっている。
この空き地は、おそらく玄関アプローチ兼駐車場(あるいは庭)だったのだろう。
空き地の手前(道路に面した所)には松の木が残されていた。つまり、ここに庭があったとすれば、日本庭園風につくられていたのかもしれない。しかし、注意深く地面を見てみても、雑草ばかりで、飛び石や縁石などの痕跡は見当たらなかった。
屋根はずり落ちて今にも崩れそうだ。
建物を侵蝕しているのはツタだけでなく、他の植物のツルも二階まで届いていた。
空き地と廃墟の全景。廃墟(四角い屋根)の右隣にも別の家が立っており、そこも空き家になっているようだ。
空き地に接する左側の廃屋は、半分コンクリート、半分木造にみえる。
最初に訪れてから2年半くらい経過し、もう一度訪れてみた。
夏だったので、壁面のほとんどが植物で覆われている。
玄関部分の屋根は完全に崩れてしまっていた。
(no.216 茨城県)
壊れた小屋付きの空き地
広めの空き地の中に、壊れた小屋がポツンと建っている。
敷地内の様子から推測すると、ここは資材置き場として使われていたと考えられる。
空き地の中央辺りには雑草の生えていないスペースがあり、車のぬかるみ対策用マットなのか、捨てられたゴミなのか判別不能の物体が置かれている。また、地面には砂利が敷かれた跡もある。
勝手な想像だが、かつては土砂、コンクリートブロック、工事用の足場などが運び込まれ、トラックが行き来する光景がみられたのではないだろうか。
空き地の端にある壊れた小屋。
近くにはドラム缶やプラスチックケースなどが散乱している。この小屋は、これらの資材や道具を納める倉庫だったのだろう。
しかし、改めて観察すると、この小屋は家の塀などに使われるブロックを積み上げて手づくりされていることがわかる。
壁には窓やドア枠が残り、上のほうには屋根の土台と思しき木材も置かれている。あくまで想像に過ぎないが、ここにはトタン屋根が葺かれていたのではないだろうか。
(no.217 茨城県)
閉鎖された団地と空き地 これは閉鎖された団地(公務員住宅)の管理事務所である。この建物の前の庭も、使われない空き地になっていた。
事務所には庭に面してウッドデッキが設けられ、空き地の右奥には物置きと粗大ゴミらしきものが見える。
そもそも、管理事務所の庭は、一般的に何に使われる場所なのだろうか?自治会の集会で使われたり、催し物(夏祭りなど)の際に使われたりするのだろうか?
なお、この団地は数年前に取り壊されてしまい、今は新しいものに建て替えられている。
解体前の団地の様子。周囲には柵が立てられ立ち入りは禁止されていた。 手前2棟が閉鎖された公務員住宅。一方、写真の奥に建つ高い建物は、最近建て替えられた新しい公務員住宅である。
解体を待つそれぞれの棟の前には、使われなくなった植栽スペースや道路があり、空き地として注目できた。しかし、残念ながら公道から撮影できたのはごく一部である。
各棟の壁には、青、紫、黄などの色が付いている。
通りから見える各部屋の様子。荒れているわけでもなく、ガランとしていて良い雰囲気だ。
一階の窓には、誰かが侵入しないようにベニヤ板が張られている。
柵の中に広がる空き地。社会的な機能を失ったこの空間は、なぜか聖域のような雰囲気があり、思わず入ってみたくなる。
空き地内の様子で印象的だったのは、樹木たちの生き生きとした姿である。人の営みが消え、時が止まったかのような場所で、一際目を引く存在になっていた。
おそらく建物の解体とともに切られてしまう運命なので、剪定されずに放って置かれているのだろう。その結果、年々大きくなり、自然に美しい樹形になったようだ。
管理されていないせいか、中には立ち枯れた樹木もあった。
一方、地面には思ったより雑草が生えていない。
以前、同じ団地の駐車場を「使われていない駐車場2」で紹介したことがあるが、そこには敷地内で作業をする人の姿が写されている。つまり、閉鎖されてからも、定期的に草刈りだけは行われているのだろう。
※ 参考→ 使われていない駐車場 2 - 空き地図鑑
(no.218 東京都)