
建物が解体された土地を訪れると、時々、塀やコンクリートの基礎などが撤去されずに放置されているのを見かける。
このような過去の痕跡が残されている空き地を、本ブログでは"無名の遺跡"と呼んでいる。
無名の遺跡が生み出される原因の多くは、解体や撤去費用を抑えるためだと考えられるが、中には再利用するためにあえて外構などを残しているケースもあるだろう。
日本では、高齢化と人口減少にともなって空き家や空き地が増加しており、今後も地方を中心に無名の遺跡の数が増えると考えられる。
本ブログでは、これまで私の地元の茨城県南を中心にそれなりの数を紹介してきたが、探せばまだまだ見つかりそうだ。
無名の遺跡は、よほど珍しい姿をしていたり、特殊な事情を抱えた土地でない限りは、一般的に注目される機会は少ないだろう。
しかし、ひっそりと目立たずに存在する姿に私は以前から惹かれている。
もちろん、現地を訪れ、その姿をよく観察しても、かつてそこに存在した建物の姿やそこを利用していた人々についてわかることは少ない。ただ、残された過去の痕跡が少ないだけに、かえって想像力を掻き立てられてしまう。
このような謎解き遊びに近い魅力が無名の遺跡にはある。
また、私にとっては、古い住居跡地を訪れて観察することが、上の世代の生活を窺い知る機会にもなっている。
本記事では、無名の遺跡を訪れた記録として、平成時代に建てられた建物の跡地と、昭和中期頃に建てられたと見られる建物の跡地を1か所ずつ紹介したい。
1. ニュータウンの住居跡地
閑静な住宅街にひっそりと存在する住居跡地。
ここを訪れたのは2021年。
一見、建物が解体されたばかりの場所に思えるが、空中写真を確認したところ、少なくとも13年前からこの状態であることがわかった*1。
1994年の空中写真では、ニュータウン開発されて間もない付近一帯の様子が写っており、この区画も未開発の状態だった。しかし、2008年の写真には、外構や駐車スペースらしきものが残る当区画の姿が写っていた。
つまり、94年〜08年の間にここに家が新築され、それが程なくして解体されてしまったらしい。
駐車スペースの前には三角コーンとバーが設けられ、そこにきれいなヘルメットも掛かっている。
この姿を見て解体工事を終えたばかりの土地と思い込んだが、前述したように工事は10年以上前に完了しているはずだ。
ただ、もしかしたら敷地内で別の工事が行われていたのかもしれない。あるいは、近日中に残置物の解体工事を行う可能性もある。
駐車場は乗用車が2台停められる広さがあり、車止めブロックも残っている。
そして、駐車場の隅には奥の空き地(建物が立っていた場所)に続く階段と門が残されている。
しかし、どちらも小さいので、おそらく家の勝手口につながっていたのだろう。
ここが裏口だとすれば、玄関があった場所は駐車場の右隣にあるスペース(下の写真)と推測できる。
駐車場の右隣にある土が露出したスペース。
このスペースの突き当たりの一段上がった場所には、玄関前に張られていたと思われるタイルが残されている(下の写真)。
つまり、このタイルが張られた場所の奥側に玄関ドアがあり、手前側にアプローチの階段が設けられていたと推測できる。
それでは、この土が露出したスペースには何があったのだろうか。
可能性としては、バイクを収納するガレージ、様々な物を保管する倉庫、小さな庭などが考えられる。
スペースの地表にはコンクリートの破片がたくさん散らばっている。
再び、裏口と思われる場所の観察に戻りたい。
門のそばには葉をまばらにつけた背の高い落葉樹が立っている。
これは夏に撮影した写真だが、病害虫が発生して弱っているのかもしれない。種類がわからないので、庭木として植えられたものか、自然に根付いたものか見分けることは難しい。
奥の建物が立っていたスペースを観察すると、隅のほうに水道管らしきものがポツンと立っている。
ここには幹をバッサリ切られながらも、脇から枝葉を伸ばし懸命に生き延びようとする木がいた。
この木は建物の解体時に切られたのかもしれないが、空き地になってから大きく成長し過ぎたため切られてしまった可能性もある。葉っぱは5つくらいに分かれており、モミジバフウのように見える。
これらを撮影してから1年後、再びこの空き地を訪れてみると、駐車場前に置いてあった三角コーンやヘルメットは片付けられていた。しかし、駐車場やコンクリート壁などの残置物は撤去されておらず、姿は全く変わっていなかった。
結局、ヘルメットや三角コーンが置かれていた理由はわからない。
なお、この空き地に駐車場や門などが残された理由は、おそらく解体・撤去費用を抑えるためであり、将来再利用することを見越した処置ではないだろう。
(no.590 茨城県)
2. 水田地帯の建物跡地
水田地帯を通りかかった時に見つけた、住居跡地と思われる空き地(2023年に北側から撮影した全景)。
敷地の3辺には塀と庭木が残されており、それ以外のスペースには防草シートが敷かれている。
過去の空中写真を確認したところ、1947年の写真では建物の姿は確認できないが、1960年代から1994年までの写真には建物の姿が写っていた。しかし、その次に撮影された2008年の写真には建物の姿がなくなっていた*2。
つまり、ここに立っていた建物は、昭和中期の1947年から1960年頃までの間に建てられ、平成時代の1990年代半ばから2000年代終わりまでの間に解体されてしまったようだ。
そして、少なくとも2008年以降の15年間は空き地のまま残されてきたと見られる。

敷かれているシートはめくれている部分もなく、地面にしっかりと固定されている。
ただ、杭用の穴やシート同士を繋ぐ隙間から雑草が侵入しており、木々の緑と一体化して鬱蒼としてきている。
敷地の奥には錆びた焼却炉らしきものが置いてある。
敷地の東側の様子。
フェンスに沿って松、紅葉、花木らしき木々が立ち並ぶ。

敷地内には石灯籠や一輪車などが放置されているが、さほど荒れていないので、定期的に清掃されているのだろう。ただ、何かに有効利用されている様子は見受けられない。
かつてここに立っていた建物は何だったのだろうか。
農作業用倉庫の可能性もあるが、フェンス、石灯籠、松の木などの残置物をもとに推測すると、住宅(農家)のような気がする。
南東の角から見た区画の全景。
植えられている木が多く、中央の空きスペースが隠れてしまっている。
南西の角から見た区画の様子。
この角付近には排水枡も残っている。
(no.591 茨城県)
●再利用可能性について思うこと
本記事で紹介した2つの空き地は、それぞれ立地も土地の構造も異なるが、どちらも長い間利用されている様子はない。
ただ、(1)ニュータウンに残る住居跡地のほうが(2)水田地帯の建物跡地よりも宅地としての再利用可能性は高そうに思える。
(1)の地区は(2)の地区よりも人口が多く、高齢化率も低い。土地の需要はあるので、将来移り住んでくる者がこの区画を購入し、家を建てる可能性は十分あるだろう。
一方、構造的に再利用しやすそうな土地は(2)に思える。フェンス以外の残置物は少なく、車両も容易に出入りできそうなので、宅地としてだけでなく農地としても使えるのではないだろうか。その点、(1)には舗装された駐車場や、工事痕が残るコンクリート構造物があるため、再利用の前にそれらを撤去する必要がありそうだ。
●無名の遺跡ならではの魅力について
本記事で紹介したように、無名の遺跡に残っている痕跡は数が少ないので、それらをもとにかつて存在した建物や施設の全体像を知ることは難しい。
しかし、残されている痕跡が限られていることで、かえって不思議な雰囲気が生み出されており、見る者の想像力を掻き立ててくれる。
また、形あるものはいずれ滅ぶという無常観に基づくと、人の気配が消えかかった無名の遺跡は、自然や無に帰りつつある存在に見える。こうした儚さを感じられるところも、この種の土地が持つ魅力だと思う。

なお、無名の遺跡に近い存在として廃墟があげられる。
廃墟では、建物やそこに付属する人工物が植物に侵食されていたり、風雨で崩されていたりする様子が見られ、ここでも人の存在の儚さを感じられる。
しかし、建物である廃墟は、無名の遺跡よりも人の気配が色濃く残されていることが多い。
このように、どちらも人の気配が残されている点では同じだが、それがより少なく、存在感を失いかけているのは無名の遺跡のほうではないだろうか。その意味で、廃墟にはない儚さの美が無名の遺跡にはあると思う。