(4月24日撮影 no.157/茨城県)
住んでいる環境が、人の心理に与える影響は大きいだろう。
室内環境だけでなく屋外環境からも、人は日々何らかの影響を受けているのではないだろうか。
たとえば、家の周りに緑があるかどうかや、自宅から隣の家まで空間的なゆとりがあるかどうかは、住環境を考える上で重要な条件だと思う。緑の存在は、夏場の気温上昇や騒音を和らげるのに役立っており、空き地があれば通風を確保することもできる。
しかし、これらの計測できる効果だけでなく、美学的な観点からその効用を考えることもできるだろう。
私が住んでいる街は、開発途上の住宅地なので、まだ建物が建っていない空き地が多く存在する。
そして、それらの空き地のほとんどは、定期的に草刈りが行われるものの、基本的には雑草が生えた状態のまま放置されている。
空き地が好きな私にとって、この街は最高の環境だ。しかし、ここに何年も過ごしていると、空き地にのみ興味を持つのではなく、空き地が点在する街の風景そのものに愛着を抱くようになってきた。
言い換えれば、この風景が、自身の一部(アイデンティティ)になっていくように感じられるのだ。
以下は、私の住む街にあった空き地を中心に、住宅街の空き地を紹介してみたい。
春の空き地
(3月19日 no.158/茨城県)
住宅街の空き地を観察してみると、雑草の様子が場所によって異なることに気づくだろう。3月になり少しずつ暖かくなってきたが、まだこの空き地には緑の雑草が少ない。
(3月19日 no.159/茨城県)
一方、同じ日、同じ地域で撮影した上の空き地は、さっきの場所と異なり、すでに青々と雑草が茂っている。この草は、早く生育する種類なのかもしれないし、緑のまま越冬するものなのかもしれない。
(3月29日 no.160/茨城県)
この空き地も、まだ緑色の草は目立ってないが、地表部を見ると伸び始めている草や芽が多かった。
(4月24日 no.161/茨城県)
4月下旬の空き地である。この土地には、もともと家が建っていたのかもしれない。土地の左半分は芝が敷かれたり、花壇用ブロックやカーペットも庭の名残にみえる。
そして、右半分はこのように柵で囲われたエリアがあった。おそらくこの場所に建物が建っており、先の左の土地は広い庭として使っていたのではないだろうか。
反対側から撮影。手前にある柵も庭の名残りだろう。
(4月25日 no.162/茨城県)
同じく、4月下旬の空き地。ここは角地で、きれいな四角形をしていないので、買い手がつきにくいのかもしれない。
(4月25日 no.163/茨城県)
周囲の木々の葉も茂り、だいぶ暖かくなってきたのがわかるだろう。
空き地によって、草が隙間なく茂っているところと、土が見えているところがある。また、空き地ごとに優勢な草の種類が異なり、それぞれ雰囲気が異なることが魅力である。
(4月30日 no.164/茨城県)
ここは草に覆われて地表が見えない。4月下旬としては生育しているほうだと思う。
(5月21日 no.165/茨城県)
5月半ばの空き地。この時期になると草がずいぶん伸びてきた。
夏の空き地
(6月27日 no.166/茨城県)
初夏の空き地。
この空き地では赤味がかった草が生えており、全体としてイエロー、オレンジ、ライトグリーンのきれいな階調が生まれていた。
(7月23日 no.167/茨城県)
この空き地は、7月半ばの姿だが、草の背丈はさほど高くない。しかし、柔らかい色調のきれいな草原ができている。
(8月18日 no.168/千葉県)
真夏の空き地。この土地には、もともと家が建っていたのだろう。手前あたりには舗装されたコンクリートが残されている。
(8月26日 no.169/東京都)
この空き地は雑草が生えているが、土の部分も多い。
土質によって雑草が生育しにくい場所もあるだろうが、ここの場合は、おそらく以前建っていた建物が解体されて、まだ日が経っていないだけだと思う。色々な雑草が塊に分かれている姿は見ていて面白い。草たちはどんな風に勢力を伸ばしていくだろうか。
(8月26日 no.170/東京都)
同日、同じ地域で撮影した空き地。
こっちはエノコログサが大部分を占めているようだ。
穂の色は白っぽく、空き地全体で眺めるとやさしい階調が生まれている。