空き地の中を走る工事トラック(東松島市浜市地区)
空き地と畑が広がる被災地
2016年10月13日。
野蒜地区をまわったあと、浜市(はまいち)地区の様子を見るため、石巻駅に向かう途中の陸前小野駅を下車した。
浜市地区も、先の津波により大きな被害を受けた地域である。
駅に着いた時は夕方近くだったので、とりあえず旧浜市小学校を目指して歩いてみることにした。
駅から海に向かって歩いていると、住宅街の中に、建物が解体された後と思われる空き地が点在していた。
野蒜地区と同様、この地区の空き地にも、建物の基礎部分や塀の土台部分と思われるコンクリートが残されていた。
写真の場所には、かつて建物が建っていたが*1震災後に解体されたようだ。
同じ空き地を横から見た様子。入口のような部分も見える。
そばにあった空き地か畑。この敷地内にも建物の基礎と思しきコンクリートがある。
近くの道端には解体跡のコンクリート片があった。
この空き地は災害によってできたものかどうかはわからない。しかし手前はアスファルトだが、奥は土の地面だ。おそらく、そこには何かが建っていたと推測できる。
さらに歩いていくと、右手に建物の痕跡が残る広めの空き地が見えた。手前のほうには塀の基礎が残されている。
しかし、ここは敷地内にも建物の跡が残っていた。
あとで調べたところ、ここにあった建物は震災後少し経ってから解体されたようだ*2。
入口と思しき場所。門がついていて、ここから車が出入りしていたのだろう。
入り口から向かって左側に広がる空き地。
畑の奥に建物跡と見られる空き地がある(奥の石段の上)。
かつて、この敷地の端に建物が建っていたようだ*3。
空き地の端には、庭石らしきものと植木が残されている。
そして、敷地の前には使われているかわからない駐車場らしきスペースもあった。ここには郵便ポストがある。ということは、かつて奥の建物跡地には郵便局か店があったのだろうか。
さっきの隣にあった別の空き地。
震災前後の航空写真を参照した限りでは、この空き地の奥にもかつて建物が建っており、手前はその庭として使われていたようだ*4。
この空き地には、敷地を囲う塀の基礎が残されている。かつて家が建っていた場所だろう。
手前には何かの標識の土台も残されていた。
回り道をしながら、旧浜市小学校を目指して歩く。
工事事務所と思われるプレハブがあり、この辺りではトラックが頻繁に行き来していた。
さらに進むとやや開けた場所があり、そこにも空き地が広がっていた。
この辺りは、東松島市浜市地区城内(じょうない)にあたる。
両側に背高泡立草の群生する空き地が広がっており、中の小道を進んでいく。
少し歩くと広い畑に出た。
この辺りにも震災前は多くの家が建ち並んでいたのだが*5、今はこのように空き地や畑になっている。
この辺りでは大豆を栽培しているようだ。
大豆畑の先には工事中の丘があった。
後日地図で確認したところ、この丘のあたりに用水路らしき小川が流れている。詳細はわからないが、復興事業の一環としてこの小川に高い堤防を築いているところかもしれない。
作業中のトラックが丘の上を何度も行き来していた。
奥の方ではショベルカーが作業をしている。
大豆畑を通過し、少し歩くとようやく小学校が見えてきた。
ここが、東松島市立浜市小学校の跡地だ。
津波襲来時、幸いにも児童や教職員に犠牲者は出なかった。(詳細は、下記の朝日新聞デジタルの記事を参照。)
asahi.com(朝日新聞社):〈学びと震災〉先生ら機転 犠牲者ゼロ 宮城県東松島・浜市小 - 小中学校ニュース - 教育(2011年5月9日)*6
浜市小学校は、津波の被害を受けて2013年3月に閉校となった。
三陸河北新報社の下の記事によれば、現在、この校舎は民間企業に貸し出されており、今後植物工場&レストランとして有効利用されるそうだ。
NEWS石巻かほく:旧浜市小の有効活用 東松島市、企業に貸与 植物工場に|メディア猫の目(2016年5月27日)*7
津波は、校舎の1階と2階の踊り場まで到達したという。
おそらくこれは体育館だろう。
すぐそばに太陽光パネルが設けられている。ここが植物を栽培する工場なのだろうか。
小学校の正門前辺りにあった空き地。
同じく、そばにあった別の空き地。 このような空き地がいたるところで見られる。
これは小学校の裏手にあった空き地。
同じく、小学校裏手にあった空き地。
このような空き地がいくつもあるが、中には駐車場として利用されている区画もある。
自販機だけが置かれている空き地(または駐車場)もあった。
そろそろ日が暮れてきたので、撮影を切り上げ再び陸前小野駅に向かう。
駅の周辺は、比較的建物が多く建っている。しかし、それ以外の場所では空き地の中に建物が点在している風景が広がっていた。
これは野蒜地区で感じた印象と同じだ。
津波襲来時に全壊を免れたとしても、損傷を受けた建物は多くあるだろう。中には、震災からいくらか時間が経ってから解体された建物も多いのではないだろうか。
またこの地区では、住宅跡地が畑として再利用される例を多く見ることができた。
(no.108 被災地の空き地(東松島市浜市地区)/ 宮城県東松島市)
*1:2011年4月6日の航空写真(『Google Earth』(構築日2016年9月6日))を参照。以下の脚注の「Google Earth」も全て同じ構築日。
*2:「未来へのキオク」付属のストリートビューを参照。2013年5月撮影の画像にはまだ建物が建っていたことがわかる。参照:未来へのキオク
*3:「Google Earth」の2011年4月6日の航空写真を参照。
*4:『Google Earth』の2010年4月4日、2011年4月6日の航空写真を参照。
*5:「Google Earth」の2010年4月4日の航空写真を参照。
*6: 参照:朝日新聞デジタル「〈学びと震災〉先生ら機転 犠牲者ゼロ 宮城県東松島・浜市小」(2011年5月9日付)http://www.asahi.com/edu/student/news/TKY201105090120.html
しかし、校舎に避難してきたお年寄りが1名亡くなっている。(参照:宮城県ホームページ 「震災の記録-震災当日から学校再開まで,そして間借りしての学校生活- 東松島市立浜市小学校」http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/12366.pdf)
*7:参照:三陸河北新報社サイト NEWS石巻かほく「旧浜市小の有効活用 東松島市、企業に貸与 植物工場に」(2016年5月27日付記事)http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2016/05/20160527t13007.htm