※(宮城県東松島市野蒜地区の空き地 ② - 空き地図鑑の続き)
かんぽの宿付近から折り返し、別ルートで再び駅に向かう。
少し進むと、工事用の土砂置き場になっている空き地があり、その前に記念碑が立っているのが見えた。
近寄ってみると、鳴瀬第二中学校の校歌が記された記念碑だった。
鳴瀬第二中学校は、津波による被害で使用不能となり、その後解体されることとなった。なお、津波襲来時、校内にいた学生・教職員たちは、北校舎二階へ避難し無事だったそうだ*1。
奥の土砂が盛られている辺りが校舎跡地である。手前にある空き地は、もともと林だったようだ。
学校前の道沿いには岩が転がっていた。おそらく、この岩は津波で流されてきたものだろう。
震災直後の様子を紹介した下の記事にも、校庭に転がっている大きな岩の写真がある。
地震後の東松島市野蒜 その3 - お気楽LIFE - Yahoo!ブログ
校舎跡地の前には水たまりもできている。津波によるものか、もともと池があったかはわからない。
歩道は痛んで雑草が生えたままだったが、車道はきれいに整備されていた。
道沿いに佇む、取り残されたガードレール。
野蒜地区で目にとまった枯れ木。おそらく海水の浸水により立ち枯れしたと思われる。地区内の様々な場所で見かけられた。
やがて左右が広く見渡せる場所に出た。ここは野蒜地区西余景(にしよけい)付近である。
この辺りの道路は改修中のため、痛んだままの道、舗装したての道など様々だった。
写真の右のほうから歩いてきた。左に進めば再び東名運河にぶつかり、そこを渡れば旧野蒜駅にいたる。
ちなみに正面にある広大な空き地は、もとは広い森だったようだ*2
かつて森があった空き地。
道路を挟んで反対側に広がる空き地。震災前には、この辺り(西余景)には住宅街があったようだ。
おそらく今は、かつてと同じ位置に道を再整備している最中なのだろう。
ひたすら空き地の中の新しい道を進んでいく。この辺りにはまだ電柱が立っていない。
殺風景な空き地の中に、きれいに舗装された道だけが迷路のように通っている。
途中には行き止まりの場所もあった。
歩いている間、周囲に人影は全くない。まるでセイタカアワダチソウの庭園を一人歩いているような不思議な心地がした。
なお、このような整備されていない古い道も残っていた。
目的地もなく彷徨っていると、塀の跡が残る場所があった。
コンクリートには赤く番号が書かれている。おそらくここは住宅跡地だろう。
別角度からみた様子。
その隣にあった別の区画。
周辺に広がる空き地はどれも住宅跡地だろう。所々に塀の基礎と思われるコンクリートが残されている。
道沿いに残されたコンクリート。 いたる場所でこのような景色が見られる。
また付近の空き地の内部には、建物の痕跡を中心に様々な物が残っていた。
地面から生えているこれは一体何のパイプだろうか。
排水管らしき物。
草に埋れかかっている。これはガスメーターだろうか。
水道メーターボックスと何かの配管。
手前に水道メーターの蓋がある。
ここには自動車のバンパーのようなものが落ちていた。
再び、東名運河近くまできた。
ここには、古い駐車場らしき一画があり、タイヤの跡がいくつも残っている。今でも工事関係車両が使っているのだろうか。
駐車場の脇には、雑草に埋もれそうな細い道があった。
その細い道は、やがて松の木へつづく坂道になっていた。
過去の航空写真を参照したところ、この坂の上に建物が建っていたようだ。
大通りを進んでふたたび運河を渡る。
すると、正面にコンビニが見えてきた。
実は、ここが旧野蒜駅である。
旧野蒜駅は、3.7メートルの津波により大きな被害を受けた。
その後、駅舎は改修され、現在は一階フロアの半分にコンビニが入っており、もう半分と2階フロアは「震災復興伝承館」になっている。なお、伝承館は今年の10月1日に開館したばかりである。
伝承館の一階フロア。休憩スペースにもなっており、復興事業を紹介するパネルが展示されていた。
また、訪れた際には、実際に被災されたスタッフの方2名から震災当時の話を伺うこともできた。
伝承館の2階には、震災前後の様子を表したパネルなどが展示されていた。
津波襲来時、旧野蒜小学校に掛けられていた時計もある。また、奥には大きなスクリーンがあり、震災関連の映像が上映されていた。
震災復興伝承館の裏には、旧野蒜駅のプラットホームが震災遺構として残されている。
がれきはきれいに片付けられているが、倒された鉄柱、土砂に埋もれた線路などはそのままである。
震災復興伝承館を出て、ふたたび野蒜駅に向かう。途中、またいくつかの空き地に目が留まった。この敷地は手前に排水管が立っているので、おそらく住宅跡地だろう。
過去の航空写真を参照する限り、この角地には建物が建っていなかった。しかし、その隣の区画にはかつて家が建っていた。当時ここは畑か庭だったと考えられる*3。
この広い敷地には建物が建っていたようだ*4。中央にはポツンと水道の蛇口が残っている。
そばにあった別の区画。ここにも水道管などが残されている。
なお、この水道は蛇口だけ新しく取り付けたようだった。
この道沿いには住宅跡地の空き地が連なっていた。
出っ張っているのはおそらく排水(汚水)管だろう。これらはどれも新しく取り付けたように見える。
突き当たりにあった住宅跡地。
このように、大きな瓦礫が放置されている空き地もあった。
(no.106 被災地(野蒜地区)の空き地 / 宮城県東松島市)
(※野蒜地区には2016年10月13日に訪れた。)
ここまでの感想
今回、初めて東北の津波被災地を訪れた。
私自身、東日本大震災では東京都内で地震を体験したものの、津波を経験したわけではない。
今まで、東北の被災地の状況については、画像、映像、テキストを通してしか情報を得ることがなかった。
また、現地を訪れたこともなく、津波で被災した方と直にコミュニケーションをとる機会もなかった。
今回は、あえて今の状況(現在の景観や復興状況)を調べ過ぎないように気をつけて、現地を訪れてみることにした。
津波を直接経験せず、最近はさほど「被災地」を意識しなくなってきたよそ者が、5年半以上経った現地で抱く第一印象を大切にしたかったからだ。
個人的には、津波の痕がまだ多く残されていることが意外だった。
しかし、復興する場所にも優先順位があるので、考えてみればそれは当然のことだろう。それに、数年前に比べれば、痕跡は格段に減りきれいになっているはずだ。
空き地の中にも、過去に建っていたものの痕跡を残す場所が多かった。
それらの痕跡は僅かしか残されていないが、その場所の過去の姿について色々想像することができた。
しかし、その一方で復興のための工事は着々と進行しており、こうした痕跡が全て取り除かれ、その場所の過去を想像することができない空き地も増えている。
あと1、2年もすれば、震災の痕跡を残す場所(空き地)はほとんどなくなるのではないだろうか。
震災直後の残酷な風景は記憶されるだろうし、再生後のきれいな風景も、復興の達成を示すものとして人々の心に強く印象づけられるだろう。
しかし、私は両者の間にある「記憶に残りそうにない風景」、すなわち、過渡期のエフェメラルな風景に魅力を感じている。
何かが新しく出来上がってしまうと、その前の風景を忘れてしまい、思い出せないことがある。
そんないつの間にか変わっている風景の、「いつの間」を自分の目で確認できて良かったと思う。
そしてまた、野蒜地区がこれから発展していき、どんな新しい風景が形づくられていくのか、今から楽しみでもある。
被災地の様子(空き地)をネット上で確認する方法
① 「Google マップ」(航空写真とストリートビュー)
2016年11月4日現在、Googleが提供しているサービス「Google マップ」の航空写真とストリートビューで、最近の被災地の様子を見ることできる。
しかし、航空写真については、コピーライトの年数表記はあるものの、撮影日は公開されていない。
ただし、現在公開されている野蒜地区のストリートビューに関しては、2013年中に撮影されたものとみられる*5
それ以外の東北地方のストリートビューは、少し調べた限りでは、撮影年月が2013〜2016年くらいまでばらつきがある。しかし、下で紹介する「未来へのキオク」付属のストリートビューを使うことで、画像の撮影された年月を確認することもできる。(各画像の下のほうに「画像撮影時期」が記されている。)
また、今後もGoogle マップは定期的(?)に航空写真・ストリートビュー画像を撮影し直し、更新していくと考えられる。
そのため、現在の風景もやがて更新され、復興後の風景に変わっていくだろう。
② 「Google Earth」
撮影年月が公開されているもので、震災前後の被災地の様子を確認したい場合、便利なサービスといえる。
「Google Earth」(※構築日2016/9/6のもので確認。)では、「過去のイメージ」の表示機能を使って、たとえば野蒜地区では、2002年〜2014年の航空写真を見ることができる*6。
③ 「Googleマップを使って過去の地形図や空中写真を見る」
( http://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/gmap.html?data=history)
これは、おもに震災前の被災地の様子を確認できる便利なサービスといえる。
ここでは、日本全国の、最近撮影された航空写真*7と、1990、1985、1980、1975、1963、1947年の航空写真を見ることができる*8。
④「未来へのキオク」( 未来へのキオク )
これもGoogleが提供しているサービスで、被災地域における被災時、あるいは被災前後の画像や動画を見ることができる。
これらの画像や動画は、全国の利用者が投稿したもので、Googleのアカウントを取得すれば誰でも投稿することができる。
*1:参照:宮城県公式ホームページ「東日本大震災を乗り越え、学校再開と復興に向けて」http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/12398.pdf
*2:GoogleEarth(構築日2016年9月6日)の2004年7月の航空写真を参照。
*3:GoogleEarthの2002年4月の航空写真を参照。
*4:GoogleEarthの2002年4月の航空写真を参照。
*5:「Google マップ」のストリートビューには、画像がいつ撮影されたか表示されていない。しかし、同じGoogleが提供しているサービス「未来へのキオク」にもストリートビュー機能がついており、ここでは、例えば野蒜地区の画像の下に「画像撮影時期:2013年5月」と表示されていた。(しかし、現在のストリートビュー画像については、2015年〜16年にかけて撮影したものという情報もある。実際、東松島市の一部では2015年に撮影された画像も確認できた。したがって、大体2013年春から2016年春までに撮影された画像が現在の東北地方のストリートビューに使われており、今も古い画像は更新されている最中とも考えられる。)
そして、「Google マップ」付属のストリートビュー画像と「未来へのキオク」付属のストリートビュー画像を、いくつかの地点で比較した限りでは、同じものが使われているようだった。(本脚注の内容は、あくまで2016年11月7日時点で確認したものである。)
*6:2002年、2004年、2010年、2011年(3/12〜5/3)、2012(2/8〜4/12)、2013年、2014年のものが閲覧できた。
*7:Googleマップの航空写真が使われている。したがって、前述の脚注のとおり、いつか空き地が開発され、その様子が撮影・更新されれば、復旧過渡期の風景は見られなくなるかもしれない。
*8:地域によっては掲載されていない年もある。野蒜地区は1985年、1975年、1963年の航空写真のみ閲覧できる。