ライトアップされた空き地
空き地は基本的に殺風景なものがほとんどだが、中には特徴的な姿のものも存在する。
上の写真は、駅前ロータリーに面してある空き地。周囲は単管パイプで仕切られ、立ち入りが禁止されている。昼間は目立たない空き地だが、夜になると防犯ライトで照らされ周囲より目立って見える。
もちろん、ライトアップされた敷地内に目につくものは何もない。ただ、強い光で照らされていることで、何か特別な意味を持つ土地に思えてくる。
ちなみに、この空き地の手前に灰皿の缶とパイプ椅子が置かれた一畳ほどのスペースがある。ここは普段、ロータリーで客を待つタクシードライバーたちが休憩スペースとして利用しているようだ。
ちなみに、上の写真は2012年に撮影したものだが、2022年現在も空き地のまま残されており、休憩スペースらしきものは無くなっていた(下の写真)。
空き地の全景。左手前にあった休憩スペースらしきものが無くなっている。
敷地内には外来植物のナガミヒナゲシが繁殖している。
敷地の端には何かの重しが置かれていたり...
なぜか雪かきスコップもある。排水枡も敷地の隅に設けられていた。
(No.8 茨城県龍ケ崎市)
コンクリートで覆われた空き地
この空き地の特徴は、地面がコンクリートで覆われている点だ(2012年撮影)。
雑草対策として覆ったのか、それとも何かの事業所(作業場等)の跡地なのかはわからない。防火水槽のように、コンクリートの中に水が貯められている場合もあるが、ここにはその標識は見当たらない。
きれいに面取りされた工業的なフォルムの中に、アクセントとして所々雑草が生えており、独特の美しさを感じる。
ここは、普段は近所の子供達がボール遊びなどに使っている。
2020年撮影。最初に訪れてから数年経過した様子。
このように、まだこの空き地は開発されずに残っている。
しかし、空き地の景観はわずかに変化していた。数年前もコンクリートの継ぎ目から雑草が生えていたが、その数が増えている。それだけコンクリートの傷みが進んでいるのだろう。
モコモコした株が点在する姿はなんとなくユーモラスだ。
反対側の角から撮影。
前回は観察が足りなかったが、今回再訪して気になる所があった。たとえば、雑草で見えにくいがここに1畳ほど窪んだ所がある(上の写真)。
同じ場所を冬に撮影した様子。おそらく、マンホールや水道メーターなどが設置されていた場所ではないだろうか。
そして、敷地の端には車の出入り口のような斜面がある。車が入るにしては、角度が急すぎる気もするが…。
しかし、よく見たら坂の端に階段の痕跡らしきものがあった。つまり、この坂にはかつて幅広の階段が設けられていた可能性がある。
不思議な姿の空き地だが、これまで観察した限りでは、ここは何かの店か作業場の跡地と推測できる。おそらく、一般的な個人住宅の跡地ではないだろう。
(No.9 茨城県龍ケ崎市)
一本の木が立つ空き地
この空き地は、家が4軒ほど建てられそうな広さがある。
そして、中央付近に一本の木(おそらく松)が植えられているところが特徴だ。
この地域には、ここの他にも、栗や松が何本も植えられている空き地がいくつかある。しかし、秋になっても栗は収穫されず、また、松も販売目的で(いわゆる植木畑として)植えられてるようには見えない。
おそらく、それらの空き地は「宅地」のままだと固定資産税が高くなるので、税金対策として木を植え「農地」や「山林」などにしているのかもしれない。しかし、この空き地は樹木が一本だけなので、農地や山林と地目認定されることはないだろう。
数年後、この空き地に再訪した。
上の写真は、先ほどと反対側から撮影した敷地内の様子。新しく家が一軒建ち、空き地の面積は以前の4分の3くらいになっていた。
そして、中央に立っていた木は立派な姿に成長していた。このまま放って置けばさらに樹高は伸びるかもしれない。今後もシンボルツリーとしてこの空き地を見守り続けてほしい。
(No.10 茨城県龍ケ崎市)
窪地の空き地
これは、少し窪んだ場所にある空き地を、上に通る道路から撮影したもの。
写真のコンクリートの壁の上にはコンビニエンスストアがあり、左下のフェンスの内側は溜め池(調整池)になっている。このように、二つのものに挟まれた空き地だが、実は左奥の丘を越えると、そこには公園がある。
ここはその公園の一部かもしれないし、左にある溜め池の管理用地かもしれない。
先の写真を撮影してから数年が経ち、再び様子を確認しに行った。
夏に訪れたので、ため池を囲うフェンスが草に覆われてしまっている。
フェンスの内側(溜め池寄りの敷地)も、草や低木が生い茂る藪(空き地)と化している。
空き地の隣にある調整池。
この記事で紹介したように、少し変わったものが敷地内に存在していたり、特殊な構造をしているだけで、それが空き地の「顔」になる。
ちなみに、特徴のある空き地にあだ名が付けられ、親しまれていた時代の記録もある。
世田谷区太子堂の歴史について記した『三世代遊び場図鑑』の中では、昭和初期の町に数多くの空き地が点在していたことが紹介されている。
そして、ある三角形の空き地が「三角」と名付けられ、盆踊り会場や遊び場に使われていたという*1。
今では、当時のように気軽に空き地に人が立ち入り、利用することはできなくなってしまった。もちろん、現代においても、何かの集まりや遊びに利用できる公園、公開空地、レンタルスペースなどは存在する。しかし私は、この種の「利用されることを前提に管理されたオープンスペース」ではなく、用途が定まっていない空き地に自由な雰囲気を感じる。昭和初期のように、誰でもある程度の自由が許される空き地は、もはや日本には存在し得ないのだろうか。
(No.11 茨城県龍ケ崎市)
*1:(木下勇『三世代遊び場図鑑』、風土社、1999年、「三角」の名称については72頁と138頁、当時の空き地の様子については138〜144頁を参照。)