空き地図鑑

空き地、更地、使われていない資材置き場、オープンスペース、祭祀場、住居跡地など、「空いている場所」がもつ様々な機能、意味、魅力を探ります。 (※本ブログに掲載の写真および文章の無断使用(転用・転載など)は禁止しています。)

街のありふれた空き地を観察する(2)

前回の記事では住宅街にある一見平凡な空き地を取り上げ、それぞれの個別性(歴史や性格)について探ってみた。

この記事でも住宅街を中心に7か所の空き地を紹介し、それぞれの過去の姿、特徴、その他気になったことを記したい。

 

ニュータウンの空き地①

f:id:akichiniiko:20211103230526j:plainニュータウンにある2区画分ほどの広さの空き地。

ニュータウンと言っても、この地域は1977年から開発され始め、1981年には分譲が始まっているので、街ができてからすでに40年ほど経過している。

過去の空中写真*1を確認すると、1970年代の末まで、この辺りには森と農地が広がっており、その当時この空き地は畑であった。

f:id:akichiniiko:20211103230816j:plain敷地内は定期的に草刈りがされていると見られ、ゴミもなくきれいだ。

f:id:akichiniiko:20211103230320j:plain北側から見た様子。

周囲に立つ家のデザインに注目すると、比較的新しいものが多く、どれも平成時代以降に建てられたものと考えられる。この地区の空き地にはどこか明るい印象を抱くが、その理由の一つには、こうした周りの建物の影響があるのだろう。

f:id:akichiniiko:20211103230153j:plain北東の角から見た様子。

f:id:akichiniiko:20211103230653j:plain反対側の南西の角から見た様子。

(no.455 茨城県)

 

ニュータウンの空き地②

f:id:akichiniiko:20211103224309j:plain先の空き地と同地域にあるニュータウンの空き地。広さは4区画分ほどあるだろうか。

先ほどと同様、この辺りも1970年代の末まで森と農地が広がっており、当時この空き地は畑であった*2

f:id:akichiniiko:20211103224355j:plain敷地内には特定外来生物のオオキンケイギクと見られる黄色い花がたくさん咲いていた。生態系への悪影響が懸念されているが、空き地の風景としてはやはり綺麗で、思わずはっとさせられる。

f:id:akichiniiko:20211103224353j:plain(no.456 茨城県)

 

整備された元農地

f:id:akichiniiko:20211103223704j:plainこの空き地は、周囲に立つ住宅を基準にすると3〜4区画分ほどの広さがある。

この地域の過去の様子を航空写真で確認したところ、1974年-1978年まで畑と森が広がっており、その中に農家と思しき家がポツポツと点在しているだけだった。しかし、1980年代中頃から人家が増え始め、2000年前後には畑の姿はほとんどなくなっている*3この空き地は1970年代くらいまで細長い不整形な畑の一部だったが、1980年頃に今の形に区画整理されたようである。

f:id:akichiniiko:20211103223656j:plainおよそ40年ほど前に整備されて以降、この土地は何にも利用されずに残されてきたのだろうか。このあたりについては未調査なのでわからないが、敷地内には草がまばらにしか生えていない点がやや気になる。雑草が生育しにくい土地には見えないが、何故だろうか。ひょっとしたら、近年この土地は何かに利用されたり、工事が行われたのかもしれない。あるいは、敷地管理に毎年多くの除草剤が撒かれているとも考えられる。

なお、地表には何かを解体した後に出る瓦礫の破片は見あたらず、その他の人工物も確認できなかった。

f:id:akichiniiko:20211103224107j:plain一方、敷地の奥のほうは比較的草が多く生えており、黄色いブタナと思しき花が咲いていた。

f:id:akichiniiko:20211103224052j:plainこの空き地で特に目を引いたものは、敷地の端に立ち並ぶ樹木である。種類まではわからないが、管理者が趣味で栗などの果樹を育てているのかもしれない。

f:id:akichiniiko:20211103223617j:plain端から見た全体像。はじめの撮影地点は写真左端付近。

(no.457 茨城県)

 

事業所跡地

f:id:akichiniiko:20211103222719j:plain一つ前に紹介した空き地と同地域にある空き地。

この土地にはもともと事業所の建物と駐車場があったが、それらは2018-2019年の間に解体されている。

f:id:akichiniiko:20211103222832j:plain敷地内にはポツポツとパイオニアプランツの株が生えてきている。このまま放置されれば、いずれ地面は一年草の緑に覆われ、そのあとは徐々にススキ、チカラシバ、チガヤ、クズなどの多年草に支配されていくのだろう。個人的には、全てが草に覆われている空き地よりも、土の地面と草が混在する空き地に魅力を感じる。

f:id:akichiniiko:20211103222701j:plain地表をよく観察すると、解体で出たと思しき瓦礫の破片がたくさん散らばっていた。

f:id:akichiniiko:20211103222639j:plainf:id:akichiniiko:20211103222623j:plain撮影時、空き地の一部(写真左側)では何かの開発工事が始まっていた。

f:id:akichiniiko:20200713192916j:plain敷地内には事業所を偲ばせるものはほとんど残っていない。唯一、ガス管の表示杭、止水栓、水道メーター、汚水桝が将来再利用されるものとして残されている。

(no.458 茨城県)

 

旧市街の空き地

f:id:akichiniiko:20220314205841j:plain旧市街にある空き地。

ここには2014年頃までタクシー会社の事業所があったが、2014-2015年の間に建物が解体され、現在にいたるまで基本的には空き地のままである。ただし、一時的に付近で工事が行われた際に工事用地として使われていたこともある。

上の写真は2022年の様子だが、2019年の様子は下の写真の通り。

f:id:akichiniiko:20220314205720j:plainこの時は、写真手前から左奥にかけて雑草が地面を覆っていたが、向かって右奥には草が生えていない砂利エリアもあった。実は、この砂利エリアはかつて駐車スペースだった場所で、雑草エリアは事業所の建物が立っていた部分である。

f:id:akichiniiko:20220314205848j:plainさっきと反対側の道から見た様子(2022年撮影)。写真中央辺りに先述した草が生えていない砂利部分があるが、そこがかつての駐車スペースである。このように、一見したところ目につくものがほとんどない空き地でも、過去の痕跡が微かに地面に残されている場合がある。

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そのほかに目についたもの。敷地の中央付近には3つのハンドホールが残されていた。

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敷地の端には公共汚水桝らしきマンホールと、伊藤鉄工を表す「IGS」のマークがあるマンホールが残っている。

f:id:akichiniiko:20220314210641j:plain再び、反対側の角から見た様子。ここには小さな四角いコンクリート部分が残されているが、これは勝手口跡と推測できる。

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ここの道沿いにはコンクリートブロックが残されている。一見したところ塀の土台跡に思えるが、実はこれは建物壁面(トタン製)の土台跡である。

(no.459 茨城県)

 

耕作地域にある空き地①

f:id:akichiniiko:20200124223309j:plainこの空き地は古くから続く耕作地帯にある。

この辺りの過去の姿を空中写真で確認したところ、住宅が増えたのは1970〜80年頃。それから現在に至るまで住宅の数はほとんど変化がなく、広い農地の所々に家がかたまって存在している。

f:id:akichiniiko:20200125170248j:plainこの空き地も、空中写真を見る限り1980年頃まで農地だったと見られるが、それ以降の数年間で現在の形に区画整理されたようだ。訪れた時には両隣の区画に家が立っており、奥の敷地にはタクシー会社の駐車場が新設されていた。いずれ、この空き地も開発され住宅や駐車場などがつくられるかもしれない

f:id:akichiniiko:20200124223330j:plain(no.460 茨城県)

 

耕作エリアにある空き地②

f:id:akichiniiko:20200124223357j:plain一つ前のものと同地区にある空き地。

前述したように、この辺りにはかつて畑が広がっており、この空き地も元々は農地だったと見られる。

f:id:akichiniiko:20200124223408j:plain周囲には人家が点在しているが、そのほとんどは1970年以降に建てられたようだ。この空き地も、おそらくその頃に宅地として整備されたのだろう。しかし、過去の空中写真を確認する限りでは、この土地はまだ一度も家が建てられたことがないようである。

(no.461 茨城県)

 

この記事では、街にある一見平凡な空き地を7か所取り上げ、それぞれの過去や特徴などについて述べた。前回の記事「街のありふれた空き地を観察する(1)」から見てきたように、これらのありふれた空き地にも個別性があり、成り立ち、管理のされ方、空き地の周囲の環境、敷地内の植生(雑草)などの違いによって多様性が生み出されていることがわかる。

なお、個人的には、本記事の「旧市街の空き地」のように、過去の痕跡が残る空き地に最も魅力を感じている。この種の空き地については、本ブログでも「無名の遺跡」と名付けて何度も紹介してきたが、引き続き注目しながらその魅力を探っていきたい。

 

*1:国土地理院ウェブサイト「地理院地図」(https://maps.gsi.go.jp)にある当該地域の「年代別写真」を参照。

*2:前傾、「地理院地図」(https://maps.gsi.go.jp)参照。

*3:前傾「地理院地図」にある「1974年〜1978年」「1979年〜1983年」「1984年〜1986年」「1988年〜1990年」「簡易空中写真(2004年〜)」の写真(航空写真や衛星画像と思われる)を参照。