※(宮城県東松島市野蒜地区の空き地 ① - 空き地図鑑 の続き)
さらに海に向かって歩いていくと、震災前に使われていた仙石線の線路があった。
もちろん、今は廃線になっている。
現在は復旧・再開発事業が活発に進められているため、道沿いの空き地には工事事務所と思われるプレハブがいくつも建っていた。
前の記事と変わらず、この辺りには空き地が多い。
なかにはこの場所のように解体中の建物もあった。
敷地内には建物の基礎が残っていない所も多い。しかし、よくみると水道メーターや配管などが残っていて、ここが建物跡地だったことが窺える。
道沿いにも津波によるものと思われる痕跡があった。左上のブロックは、なにか大きなものが流され削られた跡のようにみえる。
他には、このような折れた標識の跡が目についた。
復興が進んで周りの景色がきれいになっていくと、逆に補修されていない僅かな痕跡が目立つ。
道路では瓦礫や資材を運んでいるトラックがひっきりなしに往来している。辺りは空き地ばかりで殺風景なのだが、あちこちで忙しなく働く人の姿が見られるため、寂しさは感じない。むしろ、復興の活気があり賑やかさを感じる。
さらに海に向かって歩いていくと、東名運河に差し掛かった。
運河では護岸の復旧工事が行なわれており、完成しているところもある。
一方、反対側は工事中である。
津波によって破損したと思われるブロック。
このような津波の爪痕が残る橋もあった。
運河を渡ると道沿いに食堂がある。この辺りで食事ができる場所はここしかなさそうだ。
また、上空ではたびたび自衛隊の航空機が通過していき、その度に大きな音が轟いていた。
運河を越えてからは、左右を見渡してもほとんど建物が見当たらず、空き地だけが広がっている。
東名運河を境界とし、ここから海までの範囲は今後住宅地としては開発できないらしい。
この辺りはもともと畑だったようだ。今は雑草の生えた空き地となり、奥のほうでは整地作業が行われていた。また、ところどころ工事関係の事務所や工場らしき建物も見える。
道の途中で使われていない車も置いてあった。おそらく、津波の被害を受けたものだろう。
海に近づくとコンクリートで整地されていない道もあった。
もともとこの一帯には建物が点在していたが、今はセイタカアワダチソウの群生する空き地となっている。
さらに道を進むと、そこはロープが張られた行き止まりだった。
ロープの奥の敷地はやや開けている。
後日調べたところ、この辺りに乗馬クラブがあったようだ。
だいぶ海に近づいてきた。しかし、海岸は防潮堤の工事が行なわれており近づくことができなかった。この付近の空き地は、護岸工事用と思われる資材置き場になっていた。
別の道沿いにはコンクリート片の瓦礫の山もある。
さらに海に近づくと解体・整地作業中の土地に行き当たった。
この取り壊し中の建物は、おそらくかんぽの宿と見られる。
ここはもう海から400mくらいの場所だ。
この付近はまだ再開発が進んでいないようだ。
使われていない古い道路があり、ところどころ割れた所から雑草が生えてきている。
道沿いの左手は解体中であり、破損した受泉タンクなどが置かれていた。
これらは津波で傷ついたのだろうか、それとも解体作業で傷ついたものだろうか。
道沿いには、電線が切れたまま放置されている電柱もあった。
道はもう少し続いているが…
すぐに行き止まりになり、奥にこのような解体・整地作業中の空き地が広がる。
この辺りに来ると人はほとんど見かけない。
夕暮れと相まって、周囲の空き地には物寂しい雰囲気が漂っていた。
( 宮城県東松島市野蒜地区の空き地 ③ - 空き地図鑑 へ続く)