沖縄県南城市の海に面した森に「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」とよばれる泉がある。
ここは沖縄における稲作発祥の地と伝えられ、「受水(うきんじゅ)」「走水(はいんじゅ)」とよばれる二つの泉が存在している。
ここで注目できるのは、泉のそばに神に祈るための小さな空き地や水田が設けられていることだ。
上の写真が、聖域の入口付近から撮影した受水(うきんじゅ)前の風景である。
受水から湧き出た水は、「御穂田(みふーだ)」とよばれるこの水田に流れ込んでいる。
御穂田(みふーだ)の奥には拝所(うがんじゅ)があり、そこに三角形の石が置かれていた。
おそらく、これがイビ石とよばれるものだろう。イビ石とは、神の降り立つ標識、あるいは依り代のような存在といわれている。
拝所の下にある泉からは、きれいな水がこんこんと湧き出ていた。静かな環境の中、水音だけが聞こえる心地よい場所である。
さらに、受水から少し離れた場所に「走水(はいんじゅ)」とよばれる泉がある。
そして、その前は祈りを捧げるための小さな空き地になっている。
祭祀場の空き地は、大体2、3畳くらいの広さ。
空き地の端には、切り石(おそらく香炉)が置かれてあり、その裏から水が流れ出ていた。
撮影した時は気が付かなかったが、湧水はこの近くにある「親田(うぇーだ)」と呼ばれる水田に流れ込んでいるようだ*1。
それにしても、沖縄における稲作発祥の地であり、神話や伝説にも登場する重要な聖地にもかかわらず、この質素なつくりは面白い。
沖縄以外の聖地(たとえば本州にある寺社) だったら、小さな聖地であっても木製の祠やお堂などが設けられたり、場所によってはきれいに石畳が敷かれたりするだろう。
例えば下の写真は、埼玉県の氷川女體神社(磐船祭祭祀遺跡)にあった祭祀場である。
ここは走水前の空き地と同じくらいの広さだが、しめ縄や紙垂(しで)のついた祠が設けられ、この空き地の中で最も目を引く存在になっている。
(氷川女體神社磐船祭祭祀遺跡の一画 / 埼玉県さいたま市)
同様に、熊野古道を訪れた際は、下の写真のように意匠をこらした祠もあった。
(熊野古道近辺の祠 / 和歌山県田辺市)
もちろん、沖縄の御嶽の中にも、屋根が付いた祠が設けられている場所もある(石やコンクリート製のものが多い)。
しかし、この受水走水や、クバの御嶽、薮薩御嶽(やぶさつうたき)、友利御嶽(ともりうたき)など、沖縄の重要な聖地の多くには、意匠を凝らした人工物は見当たらない。そこには、簡単に加工された石(イビ石や香炉)が僅かばかり置かれているだけである。そして、そのような質素で自然に近い状態のまま、古くから維持されてきているのだ。
沖縄の聖地とそれ以外の日本の聖地(寺社)では、このように景観に大きな違いがみられた。そのため、私の中でイメージする神仏の姿も、前者と後者では違っていた。
つまり、寺社に参拝する際は、そこにある祠や社殿、あるいはお堂に向かって祈り、それらの人工物や境内に掲げられた説明などをとおして、神や仏の姿を意識することが多かった。
しかし、御嶽を訪れた際は目に留まるものがほとんどなかったため、イビ石や香炉などの人工物よりも、それが置かれた空間そのものに注目するようになり、その空気自体に神が宿っているように感じられたのである。
受水走水の周囲は薮(森)に囲まれているものの、適度に開けており暗い感じはしない。
時々、海からの風も通り抜け、清浄な空気を感じられる居心地の良い空間だった。
(no.132 「受水走水」走水前の空き地 / 沖縄県南城市)
*1:参考:湧上元雄、大城秀子『沖縄の聖地』、むぎ社、2010年第四刷(1997年第一刷)、102〜105頁。