空き地図鑑

空き地、更地、使われていない資材置き場、オープンスペース、祭祀場、住居跡地など、「空いている場所」がもつ様々な機能、意味、魅力を探ります。 (※本ブログに掲載の写真および文章の無断使用(転用・転載など)は禁止しています。)

宮城県石巻市南浜町・雲雀野町・門脇町の空き地

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高台から見た南浜町・雲雀野町(奥)と門脇町(手前)の空き地。

 

2016年10月14日、石巻市南浜町、雲雀野町、門脇町、中央地区、八幡町、湊町、川口町、大門町を訪問した。

東日本大震災では、石巻市内で最大震度6強を観測し、広範囲で地盤沈下や液状化が発生した。

襲来した津波の高さは、最大で8.6m以上となり、これによって市域の13.1%に及ぶ73㎢が浸水被害を受けた*1

市内の人的被害は、死者3551名、行方不明者425名となり、住家被害は、全壊20039棟、半壊13047棟にのぼっている*2。 

f:id:akichiniiko:20161119213243j:plain当日は、石巻駅付近のホテルから徒歩で南浜町を目指した。

町のそばに差し掛かると、大規模な復興工事が行われており、町に入るいくつかの道は通行止めになっていた。 

f:id:akichiniiko:20200607141311j:plain迂回していくと、町域を見渡せる場所があった。写真のとおり、南浜町全体が広大な空き地になっており、通りではトラックなどがひっきりなしに往来している。

しかし、ここからも町に入ることはできない。 

f:id:akichiniiko:20200607141354j:plainさらに迂回していくと、ようやく町に近づける道があった。
f:id:akichiniiko:20200607141514j:plainこの付近は門脇町にあたり、造成中の空き地がいくつもある。

f:id:akichiniiko:20200607142138j:plain早速この道沿いに整地されたばかりと見られる空き地がいくつもあった。表面は特殊な緑色の塗料(糊?)で固められている。

f:id:akichiniiko:20200607142156j:plain別の場所にあった区画。塗料が破れて土が崩れている。

f:id:akichiniiko:20200607141547j:plain海を目指して歩いていくと、道路沿いに建設中の「復興公営住宅」があった。

f:id:akichiniiko:20170210230024j:plainf:id:akichiniiko:20161125122333j:plain 建物はほぼ完成してるように見えるが、これから駐車場など敷地内空地を整備するのだろう。

f:id:akichiniiko:20200607141630j:plainそして、復興公営住宅の裏には空き地が広がっていた。

奥のほうが南浜町(みなみはまちょう)雲雀野町(ひばりのちょう)にあたる。手前の工事中の土地は、門脇町(かどのわきちょう)にあたり、新しい道路がつくられている最中だった。

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工事中の新道路。 

f:id:akichiniiko:20200607141823j:plain道路新設の際は、先に電柱や信号機が設けられるようだ。 

f:id:akichiniiko:20200607141859j:plain奥の空き地には「がんばろう!石巻」の看板が見える。 

f:id:akichiniiko:20200607141945j:plainそして、この辺り(門脇町)にも宅地用に整地された空き地がいくつもあった。

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f:id:akichiniiko:20200607143015j:plainこのような空き地が道沿いにたくさんあり、なかには建設中の住宅もある。

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それぞれの空き地には、水道メーターボックス、ガス表示杭、排水管が設けられている。

近くで交通整理をしていた方に伺ったところ、ここには7mくらいの津波が押し寄せたことや、自宅が6mくらいの津波に襲われたことなど、色々と教えてくださった。 

f:id:akichiniiko:20200607143137j:plainこのそばに、高台へ続く階段があった。  

f:id:akichiniiko:20200607145119j:plain階段の途中から見える空き地。

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階段を最後まであがると、南浜町・雲雀野町・門脇町の空き地を一望することができた*3。写真に写された中央の家付近を境として、画像を上下に分けると、下半分(手前側)が門脇町にあたり、上半分(奥側)が南浜町と雲雀野町にあたる。 

高台にのぼり、改めて町全体の姿がみえると思わず手を合わさずにはいられない。

南浜町、雲雀野町、門脇町は、海岸や旧北上川河口(写真左奥)に接しており、津波により甚大な被害を受けた地域である。

この辺りにはかつて住宅街が広がっており、1885世帯にあたる4525名が暮らしていたが、津波によって街は壊滅状態となり、犠牲者数も389名にのぼっている*4

また、先の作業員の方の話にもあったが、津波によってこの付近の大部分が深さ4〜7mほど浸水し、建物の大半が流出している*5。さらに、津波で流された車などから火が上がり、大規模な津波火災が発生。一面は火の海となり、およそ3日間燃え続けた*6

 

なお、上の写真の南浜町、雲雀野町を拡大したものが下の写真だ。

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この広大な空き地を中心として、広さ約38.8haの「石巻南浜津波復興祈念公園」の整備が進められており、この公園は2021年3月に完成する予定である*7。 

f:id:akichiniiko:20200607143532j:plain高台を降り、再び旧北上川河口を目指して歩いていく。道路は整備されたばかりできれいだ。

f:id:akichiniiko:20200607143614j:plain歩いていると、道沿いに石巻市立門脇小学校の旧校舎が見えた。校舎は津波と火災により全壊し、今は使われていない。

f:id:akichiniiko:20200607143623j:plain震災時、校舎に避難していた児童約275名は、学校裏手にある日和山(ひよりやま)に避難し無事だった*8

現在、校舎に覆いが被されているのは、津波と火災の生々しい痕跡を住民に見せないためである。地元の方の話によれば、校舎をみて泣き出してしまう子供がいるとのことだった。

f:id:akichiniiko:20161119213819j:plain校舎の向かいの空き地では、ショベルカーが慌ただしく働いている。

f:id:akichiniiko:20161125122851j:plainやがて、もう一つの復興公営住宅が見えてきた。

ここも完成したばかりにみえる。 

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f:id:akichiniiko:20161125122954j:plainこの公営住宅は、建物だけでなく敷地内の植栽なども済んでいた。あとは入居者を待つだけだろう。

f:id:akichiniiko:20200607143804j:plainなお、この公営住宅の前にも宅地用に整地された空き地がいくつもあった。

f:id:akichiniiko:20200607144159j:plainそしてこの付近は復興が進んでおり、傷ついた道路や建物などはあまり見られなかった。  

f:id:akichiniiko:20200607143837j:plainこの空き地には囲いやトイレが設けられているので、間もなく建設工事が始まるのだろう。

f:id:akichiniiko:20200607143917j:plainここは表土から雑草が生えてきている。整地されてから少し時間が経っているようだ。なお、写真の左奥にある森が標高約60mの日和山(ひよりやま)で、左の道を進むと登ることができる。

f:id:akichiniiko:20170210231720j:plain日和山は津波襲来時に避難場所となり、多くの人命を救った場所だ。

頂上には鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)が鎮座しており、その鳥居がここからも見える。

f:id:akichiniiko:20200607145557j:plainなお、このそばには震災遺構として土蔵が残されていた。

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土蔵には津波到達点が示されていたり(左)、津波によるものと思われる痕跡が残っている(右)。

f:id:akichiniiko:20161122143417j:plain登山口。

地元の方の話では、旧北上川を遡上する津波の被害があったものの、この山がある程度壁の役割を果たしてくれたおかげで、市の奥深くまで津波が侵入せずにすんだそうだ。 

f:id:akichiniiko:20161122143426j:plainかなり急な階段を上がっていく。

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やっと鳥居が見えた。 

f:id:akichiniiko:20170210230415j:plain山の上からは、南浜町だけでなく旧北上川の河口の様子もよく見えた。 

f:id:akichiniiko:20200607150816j:plain河口には日和大橋が架かっている。  

f:id:akichiniiko:20200607150826j:plain先ほども紹介した「石巻南浜津波復興祈念公園」になる予定の空き地。

f:id:akichiniiko:20170210230529j:plainあらためて鹿島御児神社に参拝する。

f:id:akichiniiko:20161122143817j:plainf:id:akichiniiko:20161122143835j:plainきれいな朱の社殿。境内には人懐こい猫がいた。

 

この訪問で確認した空き地は、災害によって街が無くなるという重い事実を持つ場所だった。

ここでは今、マンション、家、公園、道路の新設工事が着々と進められている。

私は、被災直後の凄惨な空き地の姿を、直に確認していない。TVやネットなどのニュース画像・映像をとおして確認しただけである。

しかし、画像資料や映像資料を見ただけでも、街が破壊されてできた空き地は、十分に自然災害の恐ろしい力を示していた。

あれから間もなく6年目になるが、現在同じ空き地は「再生」や「発展」という積極的な意味が込められた場所に変化していた。

破壊を示す空き地から創造(再生・発展)を表す空き地へ。

同じ空き地であっても、そこにどんな意味や価値を与えるかは私たち次第である。

今後、震災以前からあるものと、新しくつくられるものによって、新しい街の景観が形づくられていく。

過去の街の姿は、人々の心・記憶を中心に残ることになるのだろう。

教訓として震災の記憶を語り継いでいくことは重要なことだと思うが、一日でも早く、新しい風景のもとで新しい思い出がつくられていくことを願いたい。 

(no.122 南浜地区の空き地 / 宮城県石巻市雲雀野町、南浜町、門脇町)

 

*1:東日本大震災における石巻市内の被害状況については、石巻市「石巻市地域防災計画 共通編」(石巻市防災会議、2014年12月。)、http://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10106000/tiikibousaikeikaku/chiikibousai1kyotu.2.pdf(2016年12月12日閲覧)を参照してまとめた。

*2:人的被害数と住家被害数については、総務省消防庁「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について」(「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)被害報」第154報、消防庁災害対策本部、2016年10月20日。)を参照した。http://www.fdma.go.jp/bn/higaihou/pdf/jishin/154.pdf(2016年12月12日閲覧)。

*3:南浜町は1丁目から4丁目まであり、このうちここに写っている範囲は、南浜町1丁目から3丁目である。同町4丁目は右の公営住宅に隠れて写っていない。また、門脇町は1丁目から5丁目まであるが、ここに写された範囲は2丁目から5丁目にあたる。雲雀野町は1丁目と2丁目があり、奥の海に接した辺りである。

*4:ここで示した世帯数、住民数、犠牲者数は、公益社団法人みらいサポート石巻が発行したリーフレット『川湊石巻 記憶をめぐる伝えつなぐ3.11』の記述による。それによれば、世帯数と住民数は2011年2月末に石巻市が発表した数で、犠牲者数は2016年4月に石巻市が発表したものと記されている。なお、これらの数値は、南浜町1丁目から4丁目、門脇町2丁目から5丁目、雲雀野町1丁目の合計数である(『川湊石巻 記憶をめぐる伝えつなぐ3.11』公益社団法人みらいサポート石巻、2016年7月。)。

*5:石巻市・株式会社パスコ「東日本大震災災害検証報告書」、2012年3月、http://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10106000/8284/21_2_04-2pdf.pdf(2016年12月13日閲覧)。

*6:参照:wikipedia「石巻市立門脇小学校」、https://ja.wikipedia.org/wiki/石巻市立門脇小学校

*7:宮城県「資料3 基本設計における空間デザインについて」、http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/348394.pdf、および、「資料4 公園名称について」、https://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/348406.pdf(ともに2016年12月13日閲覧。これらの資料は、2016年3月9日に開催された「第2回石巻市南浜地区復興祈念公園有識者委員会」の委員会資料として公開されたものである。)。完成スケジュールについては、同「資料3 基本設計における空間デザインについて」および「〈復興祈念公園〉「石巻南浜」21年春完成へ」『河北新報』、2016年3月10日記事。http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160310_15026.html(2016年12月13日閲覧)を参照。

*8:参照:wikipedia「石巻市立門脇小学校」、https://ja.wikipedia.org/wiki/石巻市立門脇小学校