知念城(ちねんじょう / ちねんぐすく)は、12世紀前後か、またはそれ以前につくられた古い城と考えられている*1。また、この地は琉球王国時代の国王の巡礼地の一つである。
この知念城の一画に、不思議な佇まいの円形の空き地があった。
この空き地は、海に向かって突き出た崖の上にあり、城内の他の場所とは違う雰囲気が漂っていた。
空き地が持つがらんとした魅力が背景の海によって際立ち、これまで訪れた空き地の中でもとりわけ印象深く、神秘的な場所だった。
実は、ここが「友利御嶽」なのだが、撮影時にはそれとは気付いていなかった。標識も何もなかったためである。しかし、古くから信仰されている場所だからか、この場所自体が神聖な空気を発しているようだった。
なお、ここは以前、木々に囲まれ鬱蒼としていたようだが、訪れた時は工事が行なわれたためか木が何本か切られていた。
夕焼けに染まった広い空と海が見渡せる場所に、石積みの痕跡と香炉が置かれている。このような美しい風景を見ると、沖縄で古くから信じられている海の彼方の異界「ニライ・カナイ」*2が本当にあるような気がしてくる。
ちなみに、遠く離れた和歌山県の熊野にも、かつて海の彼方に浄土があると信じられ、「補陀落渡海(ふだらくとかい)」とよばれる行事が行なわれていた。そこでは、僧侶たちが小舟などに乗り、遥か彼方の浄土を目指して出船していた。これは、実際は捨身行のようなものだったが、なかには日秀上人のように沖縄まで漂着し、活動を続けた僧侶もいたようだ*3。琉球と熊野は離れているし、ニライカナイ信仰と仏教の浄土信仰は基本的には異なるものだ。しかし、海の彼方の他界を信じるという点で、不思議な一致がみられる。
いくら地球の大きさに関する知識があっても、実際に眼前に広がる空や海を眺めていると、その果てのどこかに異世界があると信じられるようになる。とりわけ、夕暮れ時のきれいな階調の空と海を静かに眺めていると、その思いは強くなっていった。
(no.66 友利御嶽 / 沖縄県南城市)
知念城城外にある藪に囲まれた空き地(拝所)である。
(※以下の太字部分、2019/11/20追記。)
南城市に問い合わせたところ、近世まで知念城には隣接して集落が存在しており、この場所も集落や屋敷の跡であると推測されているそうだ*4。
古くからこの空き地が聖域として維持されてきたのだろうか。それとも、かつてこの空き地の中には何かの建物が建っていて、それが近代以降に解体され、その後祭祀場として整備されたのだろうか?
詳しいことはわからないが、いずれにしてもこの空き地は現在でもムラの祭祀行事で拝まれており、人の手によって管理されていることは確かである*5。
このような何もない自然の聖域に入ると、やはり私は、空間そのものに宿る何か(神のようなもの)と対峙させられているように感じ、緊張してしまう。
奥にある祠(下の写真)には、線香の束を燃やした跡があり、下草も刈られてきれいに整備されていた。この祠は石を積んでつくられたもので、中に香炉が置かれており、祠の前には供え物を載せるためのものと考えられる貝殻の器が二つ置かれていた。
この拝所は、上方が木々に覆われているため空がほとんど見えない。しかし、この祠の上の方には木々に覆われていない開けた部分があって、そこから光が射し込んで幻想的な雰囲気を醸し出していた。
(no.67 知念城付近の拝所 / 沖縄県南城市)
*1:沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典 下巻』(沖縄タイムス社、1983年)の「知念城跡 ちねんじょうせき」(761頁)にある「按司時代初期,あるいはそれ以前の古いグスクである」という記述を参照。
*2:「ニライ・カナイ」とは、沖縄や奄美などで古くから信じられている海の彼方にあるとされる理想郷で、神々の住む場所、あるいは、死者の魂が行く場所とみなされる。また、ニライ・カナイは様々なものの根源地であり、ここから豊かさがもたらされると信じられている。 (大島建彦、薗田稔、圭室文雄、山本節編『日本の神仏の辞典』、大修館書店、2002年(初版2001年)、974〜975頁参照。)
*3:前掲、大島建彦、薗田稔、圭室文雄、山本節編『日本の神仏の辞典』、1125頁参照。
*4:南城市文化課への聞き取りによる(2019年11月20日)
*5:同上、南城市文化課への聞き取りをもとにした。