空き地図鑑

空き地、更地、使われていない資材置き場、オープンスペース、祭祀場、住居跡地など、「空いている場所」がもつ様々な機能、意味、魅力を探ります。 (※本ブログに掲載の写真および文章の無断使用(転用・転載など)は禁止しています。)

斎場御嶽(せーふぁうたき)

 

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沖縄本島の南城市にある斎場御嶽(せーふぁうたき)は、琉球神話に登場するアマミキヨという創世神がつくったと伝えられている。琉球王国において最も位の高い御嶽であり、国王が親拝し続けた歴史がある*1

また、現在は国の史跡に指定されており、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

この御嶽には、複数の祭祀場が点在しており、どれも大きな岩や樹木などの自然に囲まれた神秘的な空き地だった。

 

 

 

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上の写真は、大きな岩壁と森に囲まれた空き地で、その一部が拝所になっている。写真では見えづらいが、正面の岩から二本の鍾乳石が突き出ており、水が滴り落ちて下にある二つの壷に溜まっている。

これらの壷が置かれた場所が「チイタイイシ」と呼ばれる拝所である*2

二つの壷に溜まった水は、以前聖水として扱われ、正月の若水とりの儀式に使われたり、この場で吉兆占いが行なわれたりしていたそうだ*3

(no.51:「チイタイイシ」前の空き地 斎場御嶽/沖縄県南城市)

  

なお、上の写真の左側に見える三角形の穴を通ると、三庫理(さんぐーい)とよばれる聖域にいたる(下の写真)。

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この聖域も、岩壁に囲まれた空き地であり、地面は石畳で整備されている。

また、右側の岩壁が「チョウノハナ」とよばれ、下に香炉が置かれている。そして、この壁をとおして天空を拝んでいたそうだ*4

上を見上げると樹木が生い茂り、その隙間から空が見える。儀式の際は、ここから地上に神が降り立つというイメージが持たれていたのだろうか

それとも、ここはあくまで天空にいる神に語りかける場所だったのだろうか。祭礼に際して、ノロなどの神官をはじめ、参加者の心の中でどのようなイメージが持たれていたのか気になるところである。

 

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いずれにしても、この空間は程よい広さで落ち着いた雰囲気がある。

実際にここに佇んでいると、周囲にある自然や空間全体に神聖なものが感じられた。

また、この聖域の東側はぽっかりと海に向かって空いており、ここから久高島(くだかじま)を望み遥拝する。 

 

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海の上に白く見えるのが久高島である。

久高島は、アマミキヨが天から降り立った島として古くから崇拝されている。

(no.52:三庫理(さんぐーい)と、チョウノハナの拝所) 

 

 

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(no.53 : 大庫理(うふぐーい))

 

また、斎場御嶽内には、上の写真の大庫理(うふぐーい)や、下の写真の寄満(ゆいんち)とよばれる祭祀場もある。

現地の標識によれば、これらの場所でも神職たちが王国の繁栄を祈ったり、吉兆を占ったりしていたそうだ。両者とも、樹々や巨石に囲まれた空き地であり、その内部は一部石畳などで整備されている。

なお、大庫理(うふぐーい)の空き地も、写真のように石畳が敷かれているが、「もとは芝草の生えた庭(ナー)」*5だったようだ。他の場所も、昔は現在の姿よりもさらに素朴で、ほとんど自然に近い状態だったのかもしれない。

 

 

 

 

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(no.54 : 寄満(ゆいんち))

 

これらの祭祀場は、神話ではアマミキヨがつくったといわれている。

実際、この御嶽は元々どのようにしてできた祭祀場なのだろうか?

たとえば、何らかの自然的要因で森の中に空き地が生みだされ、そこに神秘性を感じた人々が聖域とみなしたのかもしれない。つまり、自然が生み出した空間(空き地)そのものを神聖視したケースが考えられる。

あるいは、巨岩などを神聖視した人達が、その前に拝むための空き地を整備したのかもしれない。これは、祈りの場としての空き地を新たにつくったケースである。

斎場御嶽がどのような起源をもっているか詳しく調べていないので、上記のことは勝手な推測に過ぎないが、色々と想像が膨らんでしまった。

斎場御嶽で見られる人工物は、簡素な石灯籠、香炉、壷、石、そして、要所に敷かれた石畳である。

社(やしろ)などの建築物や、神の姿を表現した像や絵は見あたらない*6

 

この御嶽では、巨大な岩の存在が目を引いたが、そのような自然物そのものよりも、聖域内に漂う清浄な空気感のほうが印象深かった。ここでは、物だけに注目するのではなく、聖域内に点在する祭祀場の空き地を巡りながら、空間そのものを体感することが重要なのだと思う。

 

 

*1:大島建彦・薗田稔・圭室文雄・山本節編『日本の神仏の辞典』、大修館書店、2002年(初版2001年)、730〜731頁参照

*2:湧上元雄、大城秀子『沖縄の聖地』、むぎ社、2010年(1997年第一刷)、43〜44頁参照。

*3:現地設置の案内板による。また、下中邦彦編『大百科事典 15』の記述によれば、琉球王国時代、王は元旦の朝に汲んだ水(若水)を額につける「お水撫で」の儀礼を行なっていた。これは「生命の更新をはかる」ためとされ、民間でもその習慣があったという。(下中邦彦編『大百科事典 15』平凡社、1985年、「わかみず 若水」1310頁参照。)つまり、チイタイイシがあるこの空き地は、占いだけでなく、再生の力を授かるという重要な意味を持つ場である。比較的広い空間だが、域内は清潔に管理され、静けさと清らかさが感じられた。

*4:前掲、湧上元雄・大城秀子『沖縄の聖地』、44〜45頁参照。

*5:前掲、湧上元雄・大城秀子『沖縄の聖地』、42頁。

*6:前掲、湧上元雄・大城秀子『沖縄の聖地』によれば、戦前までは大庫理(うふぐーい)には「瓦葺きの殿があったといわれる」そうである。(同書42頁)