空き地図鑑

空き地、更地、使われていない資材置き場、オープンスペース、祭祀場、住居跡地など、「空いている場所」がもつ様々な機能、意味、魅力を探ります。      (※本ブログに掲載の写真および文章の無断使用(転用・転載など)は禁止しています。)

祭祀場(さいしじょう)の空き地 – 御嶽について

 

日本では、古くから巨石、巨木、滝、山などの自然物を敬い、それらに宿る神を信仰してきた。

古い祭祀場には、今日の神社でみられる本殿や拝殿などの建築物は建っておらず、簡素な祭壇や結界された土地などを、神の仮住まいの場所として祭祀に利用していたようだ*1

その後、仏教伝来の影響を受けて、神体を安置する本殿や参拝するための拝殿が設けられるようになり、今日の神社の形式が確立されるに至る。

しかし中には、このような建築物がみられず、古い信仰の様子がうかがえる祭祀場がある。ここで扱う祭祀場の多くは、自然の中にある「空き地」である。

  

 

御嶽(うたき)について

 

御嶽(うたき)とは、沖縄の聖地の総称であり、沖縄本島や周辺の島々に広く存在する。

御嶽で信仰されるのは、村の守護神や航海の守護神、海の彼方から来訪する神などである。

また、御嶽となっている場所は、森の中や海が見渡せる崖の上、浜辺といったように様々だ。

また、沖縄では「御嶽」とほぼ同じ意味として「拝所(うがんじゅ)」という言葉もよく使われており、聖域や聖域内にある祠などを指している*2。 

なお、美術家の岡本太郎は、『沖縄文化論 ―忘れられた日本』の中で御嶽の空間構造について次のように述べており、注目したい。(以下、斜体部分抜粋。)

 

この神聖な地域は、礼拝所も建っていなければ、神体も偶像も何もない。森の中のちょっとした、何でもない空地。そこに、うっかりすると見過してしまう粗末な小さい四角の切石が置いてあるだけ。その何にもないということの素晴らしさに私は驚嘆した。*3  

あの潔癖、純粋さ。神体もなければ偶像も、イコノグラフィーもない。そんな死臭をみじんも感じさせない清潔感。

神はこのようになんにもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向いあうのだ。*4

 

ここで岡本太郎は、御嶽を「空地」という言葉で表現している。そして、御嶽の「何にもない」空間構造と神秘性を関連づけて語っているのである。

 

私が訪れた御嶽の多くも建物が建っておらず、何もない空き地に小さな香炉(こうろ)や祠(ほこら)が置かれているだけだった。 

また、私がこれまでに訪れたことのある祭祀場は、神社寺院などが主であった。そこには、神体や本尊を安置する本殿や本堂をはじめ、様々な建築物が建っていた。そして、境内には鳥居、門、石灯籠などの人工物が設けられ、地面は石畳などできれいに整備されていた。

さらに、場所によっては参拝対象の神仏の性格について詳しい説明がなされていたり、それが絵や像として表されていることもあった。

このように、寺社では、信仰対象を知的に理解することを通して祈りを捧げることができる環境が整えられていたのである。

しかし、これまでに訪れた御嶽は、寺社境内と異なり人工物がほとんど設けられていなかった

そのため、不思議なことに、この簡素な空間に入った時は自然に五感が研ぎ澄まされるようだった。何も無い空間だからこそ、目に見えないものの存在を直に感じ取ろうとする緊張感が生まれるのだ。

 

また、空き地とは何か?でも触れたが、私は幼少のころに、近所にある空き地を遊び場にして過ごすことが多かった。

それらは、雑木林の中にあるぽっかりと空いた場所や住宅街の中の雑草の生えた一画など、自然のある空き地だった。

そこで私は、自然物に触れたり、自然現象を眺めたりしながら、空き地という場そのものに神秘性を感じ取っていたのである。 

 

なお、この個人的な神秘観が何なのかを探るため、近年私は、日本人の神秘観・宗教観が歴史的にどのように変化してきたかを探り、その上で自身の神秘観を位置づけようと試みた。(拙稿『熊野信仰をめぐる神秘性・霊性のイメージとその要素・条件』*5、ほか*6。)

この研究の結果、どの時代においても自然物や自然現象が日本人の宗教観に深く関わっていることが確認できたが、時代によって宗教観が変化している様子も確認できた。

古くは自然物や自然現象そのものを崇拝する時代があったが、その後、古代から中世にかけて神仏信仰が発展・多様化し、それが信仰の中心になる。そして、この信仰形態は近世まで続いている。

しかし、近代以降を中心にして、ふたたび自然から素朴に神秘性を感じる自然信仰の形に宗教観(神秘観)が変化していたのである。*7 

この研究により、私が子供の頃から空き地に感じていた神秘観は、近代以降の日本人が持つ宗教観(自然信仰)と類似することがわかった。

つまり、この意味で、私が空き地(や自然)に感じていたの感覚は個人的なものでなく、私以外の日本人も持ち得るものではないかと考えられる。

そしてまた、岡本太郎も、御嶽において具体的な神仏の姿をイメージしていたわけでなく、抽象的な存在をイメージしていたようだ

岡本は「」という言葉を多用して御嶽を説明しているものの*8、御嶽のような原初的な祭祀場に「ひそかに超自然のエネルギーがおりてくる*9と表現したり、神に関して「見えない存在*10、「見えない世界*11と表現している。

さらに、「神は自分のまわりにみちみちている。静寂の中にほとばしる清冽な生命の、その流れの中にともにある。あるいは、いま踏んで行く靴の下に、いるかもしれない。*12と述べており、あくまで抽象的な神(存在)をイメージしていたことがわかる。

もちろん、岡本太郎が御嶽に感じ取った神秘性と、私が空き地や御嶽で感じたものが同じであるとはいえない。しかし、どちらの神秘的イメージにも近現代人の宗教観の特徴*13が表れており、その意味で近いものといえるだろう。

 

 

 

 

 

*1:「結界」とは、日本に仏教伝来とともに伝わった言葉とされ、「聖俗を区別し,空間の内外を限る装置,それらの装置によって限られた内部空間」という意味がある(下中邦彦編『大百科事典 4』平凡社1984年初版発行、垂水稔「けっかい 結界」1289頁。)。神道においても、「忌竹や注連縄などで結界し」た場所を、神の仮住まいの社(やしろ)として見なす場合がある(『Books esoterica 第36号 神道行法の本 日本の霊統を貫く神祇奉祭の秘事』(New sight mook)、学習研究社、2005年、藤巻一保「第一章 神道のかたちⅠ 祭祀編 幽冥に誘う神事祭式の博物誌」34〜35頁参照。)

*2:御嶽については、渡邊欣雄・岡野宣勝・佐藤壮広・塩月亮子・宮下克也編『沖縄民俗辞典』吉川弘文館、2008年の「ウタキ 御嶽」(49〜51頁)と、琉球政府文化財保護委員会監修、真栄田義見・三隅治雄・源武雄編『沖縄文化史辞典』東京堂出版、1972年の「おたけ 御嶽」(70〜71頁)、および大島建彦・薗田稔・圭室文雄・山本節編『日本の神仏の辞典』、大修館書店、2002年(初版2001年)の「ウタキ【御嶽】」(172〜173頁)を参照した。拝所については、前掲、渡邊欣雄他編『沖縄民俗辞典』、「ウガンジュ 拝所」(45〜46頁)を参照した。

*3:岡本太郎『沖縄文化論 ―忘れられた日本』、中央公論新社、1996年初版、「「何もないこと」の眩暈」40〜41頁。

*4:同上、「神と木と石」168頁。

*5:小澤啓『熊野信仰をめぐる神秘性・霊性のイメージとその要素・条件』武蔵野美術大学博士論文、2012年。

*6:小澤啓「熊野信仰における神秘的イメージと見立て ―広島県比婆山伝説地・鳥取県熊野神社遺跡・京都三熊野を例として―」(『武蔵野美術大学大学院博士後期課程研究紀要』第6号、武蔵野美術大学2013年3月。)、「1920-40年代の『旅』にみる熊野の神秘性記事」(『武蔵野美術大学大学院博士後期課程研究紀要』第4号、武蔵野美術大学、2011年3月。)など。

*7:つまり、中世や近世においては、神秘的なイメージが自然からの印象をきっかけに生まれながらも、それが最終的に具体的な神仏の姿となって人々の中でイメージされる傾向があった。

それに対し、近代以降の日本人は、自然の印象から受ける神秘的感覚が具体的な神仏のイメージに結びつかず、抽象的なイメージのまま個人の中に留まり、解消されていく傾向がみられたのだ。また、近代と現代においても、人々の中で想起される神秘的イメージに違いもみられたが、ここでは省略したい。

*8:前掲書、岡本太郎『沖縄文化論 ―忘れられた日本』、168〜173頁。

*9:同上、170頁。

*10:同上、170頁。

*11:同上、173頁。

*12:同上、173頁。

*13:詳しくは、前掲論文『熊野信仰をめぐる神秘性・霊性のイメージとその要素・条件』の中でまとめた。また、前掲「1920-40年代の『旅』にみる熊野の神秘性記事」や、「旅行ガイドブックにみる熊野の神秘性・霊性に関する試論」(『武蔵野美術大学大学院「教育学研究」ゼミナール報告書』第3号、武蔵野美術大学教職課程高橋陽一研究室、2010年1月。)では、旅行ガイドブックなど、旅に関するメディアをもとにして、それぞれ近代と現代における日本人の宗教観の特徴を探った。